2011年4月10日日曜日

ハリネズミと金貨

「 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 」

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うららかな天気の中、近所の投票所となっている中学校へ行って都知事選の投票を済ませてきた。改めて気がついたのだが、その中学校にはぐるりと桜の木が植えられている。満開の桜に囲まれ、時折桜の花びらが舞い、それは何とも言葉には表せない風景。

練馬区は都心部から比べれば、いくらか緑は多いかもしれないが、それでも自然豊かとは言えない。しかし桜の花びらの舞うその光景は、それでも日本の原風景という気がする。一年のうちほんのわずかな期間だけしか、この風景を楽しめないというのも惜しい気がする。今この瞬間を味わいたいとしみじみ思う・・・

6歳になったばかりの長男にはいつも紙芝居か絵本を読んであげている。
先日読んだのは、「ハリネズミと金貨」というロシアのお話。
それは概略次のような内容だ。

ある時、老ハリネズミが道端で金貨を拾う。老ハリネズミは寄る年波には勝てず、これで楽して冬ごもりの支度をしようと考える。そこで干しキノコを買おうとリスのところへ行くが、リスはただでキノコをくれ、その金貨で靴を買えと言ってくれる。
続いてカラスの靴屋のところへ行くが、カラスは金貨で靴下を買えと、ただでどんぐりの靴を作ってくれる。くもの靴下屋もただで靴下をくれ、小熊もハチミツをくれて冬ごもりの支度はできてしまう。老ハリネズミは、きっと誰かの役に立つだろうと、使わなかった金貨をもとのところに置く・・・

ロシアの話にしては心が温かくなるような話で、じっと聞いていた長男も「みんな優しいね」と感想を語ってくれた。確かにそうなのだ。お金に汲々とする事無く、森の動物たちはみんなで分け与える精神を発揮する。そうした精神は成長期にある長男の心の中に根付いてほしいものだと思う。

だが一方で、日頃天の邪鬼な私としては、ついつい勘繰りたくなる。
果たしてどんな状況でもみんな優しくできるだろうか、と・・・
例えば干ばつなどで食べ物が無くなっていたら、果たしてリスはキノコを分けてくれただろうか?カラスやくもは食べ物を買えるかもしれない金貨を受け取らずに靴や靴下をくれただろうか?小熊はハチミツをくれただろうか、ハリネズミは金貨を元に戻しただろうか?
残念ながら温かい答えは出てきそうもない。みんな余裕あってこそ相手を助けられるのである。

そう言えば今日はお使いを頼まれてスーパーに行った。水を買いに行ったのだが、最近はどこも品薄。一番近くのいなげやは、朝からみんな並んであっという間に無くなるらしい。なのでちょっと離れたスーパーまで行ったのである。一本買ったのだが、「おひとり様1本限り」と注意書きがついていた。よく見ると納豆とヨーグルトもそうであったし、そう言えばガソリンも前回は30リッターまでと制限された。

考えてみれば売る立場としては、制限など設けなければ早い者勝ちであっという間に売り切れるだろう。値上げしたって売れるはずだ。売る方の理屈としては、効率的に売りきって儲けられるはずだがそうはしていない。便乗値上げは批判されるし、一部の人が買い占めれば買えなかった人から不満の声が上がる。制限をつけてくれるおかげで、少しではあってもより多くの人の手に商品が行きわたる事になる。普段の特売品の販売制限は違う意味があるが、今回については公平に多くの人に売ろうという意図だろうし、それはそれでありがたい事だ。これも分け合いの一種と言える。

本当は買い手の方が進んで控えるのが一番理想的だと思う。
自分が不必要に買い込んだら、買えない人が出てくると考えて必要な分だけにするのが良いのだ。そうすれば買占めなどという事は起こらない。それにもしも物資が窮乏したとしたら、買い占めた家ではカーテンを閉め切ってこっそりと家族だけで食べるのだろうか。きれい事を言ってはいられないという事態はもちろんあるだろうが、いろいろ考えてみると難しいものだと思う。

それにしても今回の震災はいろいろなテーマを都民に投げかけてくれる。直接の被害がなかったのは幸いな事だが、電気やガソリンや食料品が一時的に欠乏する事で、日頃のあり方を見直すいい機会になっている。いざ直接の災害となった時、果たして分け合い助け合う事ができるのだろうか。せめて同じような家族構成の人たちが多いご近所とは、そうできたらいいなと思う。

そんな事を念頭に、これからの行動を考えていきたいと思うのである・・・

【昨日の読書】

「インシテミル」米澤穂信

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