2010年4月25日日曜日

他人の事を考えようじゃないか

 最近通勤電車が混んでいる。いつもの電車が心なしか混みあっているのは、たぶんこの春から通勤・通学で新たにこの時間帯の人が増えたからかもしれない。それはそれで仕方ないのであるが、どうしてもこうした電車で自分の事ばかり考える輩が出てくる。

 先日も満員の車内で吊革につかまっている腕を鋭角に突っ張っている奴がいた。その先端が私の背中をぐりぐりと押す。力を入れているので私が押されて後ろに体重が移動すると肘がいっそう背中に突き刺さる。私としては誠に不快な気分になった。力を抜いてくれればそんな事にはならないのだから、意図的にやっているわけである。

 どうしようかと迷う。振り返るにも満員の車内ゆえにそれも大変。あえてやって苦情を申し立てるのも人目を引くし、そういう事は好きではない。それに相手が逆ギレしてきたら、こちらも引けないからひょっとしたら朝から殴り合いという事態になるかもしれない。スーツだし、仕事前にそんな事は勘弁願いたいし・・・

 それでも我慢の限度を超えたため、あえてわざわざオーバーアクションで振り向いて相手を睨みつけた。そこにいたのはしょぼいサラリーマンで(これなら喧嘩になっても勝てると)安堵したが、相手も力を抜いて目をそらしたので事なきを得た。不愉快さは残ったが、そのまま飲み込む事にした。

 10年くらい前にもやっぱり混み合う終電で同じような事があった。注意したらその相手の返事に我慢できず、次の駅で引きずりおろした。酔ったサラリーマンだったが、相手が体制を整える前に先制攻撃をかましたところ、あっという間に周りにいた6~7人のサラリーマンに制止された。何より見ず知らずの人たちの突然の連携に驚いた。相手の男はやられたまま反撃する間もなく取り押さえられ、怒り狂っていた。

 満員電車で不快な気分になるのはみな同じ。自分も相手を不快にさせているのだという事を認識しないといけないのだが、そんな事は思いもしない。自分の都合だけで判断する。

 会社でもスタッフの人に雑事や簡単な事務仕事をお願いする。出来上がって一言声をかけて持ってきてくれる人もいれば、黙って机に置いていくベテランさんもいる。その人は説明してもつっけんどんな態度と事務的な対応しかしてくれない。仕事はきちんとやってくれているが、自分の仕事だけをやるというスタンスで、そこには「誰と」という姿勢が入っていない。

 そうするとこちらも笑顔で対応などと言う事もしなくなるし、よそよそしい関係に終始する事になる。なんでそうなのかよくわからない。仕事自体が厭なのか(でも仕事しないわけにはいかない)、ひょっとしたら私の事を嫌いなのか(その可能性もある)、もともとの性格なのか(だとしたらとても損している)・・・

 いつも気持ちよく手伝ってくれている人に対しては、こちらもなるべく負担のかからないようにと気をつかうし、そういう相互関係は相乗効果で結果として負担も減るし、気持ちのいいものになる。何よりも自分が一番助かるものだと思う。

 およそこの世の中は人間関係なくしてはあり得ない。自分の周りには常に人がいて、やっぱり自分と同じように考えているわけで、自分の事を考えて欲しかったら自分も相手の事を考えないといけない。それはそのままいつも自分に言い聞かせている事でもある。

 明日から通勤は少し早く家を出て、比較的空いている各駅停車に乗る事にした。時間はかかるが、不快な思いをしなくてもいいし、させる事もない。ゆっくりと本を読んで快適な通勤時間を楽しめる。やっぱりゆとりは大事なのだ。良い仕事をして、良い一日を過ごすためにもそうしようと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
       
     



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