2010年4月15日木曜日

ヤマアラシのジレンマ

 寒さの中、二匹のヤマアラシが暖め合おうと近づく。しかし、近づきすぎるとお互いの体の針が相手に刺さってしまう。かといって離れると寒くなる。二匹は近づいたり離れたりを繰り返し、ようやくお互いに傷つかず、寒くも無い距離を見つける。哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学の大家フロイトが考えた話。
 お互いが体中にトゲを持っていることに気づかず、近寄れば相手の体を傷つけることに気づいていない。そして自分も相手を傷つけているのも知らずに、相手だけが自分を傷つけると思い込んで、怒ったり、攻撃したり、ストレスを抱えたりする。
 人間関係のストレスとは、このヤマアラシの関係のようなもので、自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む。傷つけあうのが嫌だからと人間関係から逃れようとするのだが、人間関係から逃れてみるとさびしくて仕方がない。また誰かとつながっていたいと思うようになる。
 人と接触したくないけど、人とつながっていたいという心の矛盾を心理学では「ヤマアラシジレンマ」と言うそうである。
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 そんなヤマアラシジレンマの話とはちょっと違うかもしれないが、改めて思う事がある。『自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む』というくだりがどうにも心に引っ掛かるのである。私も実はそういう経験をする。

 気がつけば妻の機嫌が悪い。思い当たる節はない。後で聞けば、何気なく発した私の一言が原因だったりするが、こちらにそんなつもりは毛頭なく、「なんでそんなひねくれた受け取り方をするのか」と、腹立たしくさえ思う。家庭内だけでなく、外でも同じである。

 意図的に発した悪意ある発言に相手が気分を害するのは気にならない。だがこちらに悪意がない場合は困惑してしまう。しかも相手の態度でわかればいいが、表面上は平静を装われた日には最悪だ。だが気をつけたくても無理がある。

 「自分の背中」が見えないのと同様、相手が自分の言葉や行動をどのように受け取ったかまではわからない。ひょっとしたら、このブログを読んで気分を害している人だっているかもしれない。心配ならば何も言わなければいいのかもしれないが、現実的にはそれも難しい。

 だから最近はせめて相手の言葉にカチンときても、すぐに腹を立てるのではなく、なるべくその真意を探ろうとするようにしている。相手もきっとなんらかの思いがあって、そういう発言をしたのだろうと思うようにしている。

 今日も同じ職場のベテランさんにグサリと嫌味を言われてしまった。その人はいつも棘のあるモノの言い方をするので私も苦手にしているのだ。だがよくよく考えてみればその人だって自分の仕事をしているわけで、その人からすれば私のやった事が仕事の効率化の妨げになっていたのだと思う。私がまったく気にも留めていなかった事を、その人は気にしていたのだ。嫌みの一つも言いたくなるわけだ。

 ここでまともに腹を立てていたら憎しみの応酬になってしまう。考えてみれば、以前はそんな事が原因のイライラが多かった気がする。「申し訳ない」と明るく言ってお終い。相手の針も受け止め方を変えるとこちらも心穏やかに過ごせる。

 最近、そんなやり方ができるようになった。自分にも針があるって事をいつも意識していたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
     


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