2009年3月15日日曜日

ポジティブ・シンキング

   
私はかなり物事を楽観的に考える。
というかそのように努めているという方が正確であろう。
よく例えで半分水の入ったコップの例が使われる。
それを「半分しか入っていない」と捉えるか、「半分入っている」と捉えるかというやつである。
私は後者である。

コップに「半分しか」入っていないと考える人は、コップに水が一杯になっている状態が念頭にある。しかし「半分」と考える人は、それがカラの状態だ。カラである事を考えれば、まだ半分も入っていていいじゃないかと考えられるのである。

もちろん、下を見て満足するのはいかがなものかという考え方もある。
「あそこまで行きたい」という欲望こそが成長の源泉である事も間違いではない。
不足分を補おうとする事は大事な事だ。
だからそういう健全な考え方にもっていけるのならそれでいいだろう。

しかし、やっぱり「半分しか入っていない」という事を嘆く人はいるものであり、そんな例を身近に見るとそんなに悲観的になるほどではないのにと思うのである。
「半分しか」でも「半分も」でも、どちらであっても前向きであるならばそれでいいのだ。
要はどんな状況下にあっても「まだまだマシだ」と思えるか、であると思う。

4年前に妻と子供が同時に別々の病院に入院する事になり大いに慌てたことがあった。
厄年を前にして不幸の始りかと一瞬考えた(親にもそう言われた)。
仕事に行って定時に帰り、子供の病院に顔を出す。
休日は東京の西と東に離れた二つの病院の間を行き来した。
慌しく落ち着かない毎日だった。

しかし職場環境に恵まれ、休みも遅刻も早退も好きなようにしてよいと言ってもらえたから仕事の心配はしなくて済んだ。両親も健在だったし、同じ国内だったから手伝いに来てもらえた。何より「アメリカに移植手術を受けに行かなくてはならない」、などというとんでもない事態とはまったく違っていた。たかが1~2週間の入院だった。我が身の不幸を嘆く要素などどこにもなかった。そう考えられたから気持ちは楽だった。

3年前に仕事で大きな失敗をして毎日が針の筵だった時もそうだ。
毎朝会社に行くのが嫌で、あの時は鬱になる人の気持ちがよくわかった。
「その不幸を何か他のものと交換してやろう」と尖ったシッポをはやした悪魔が提案してきたら、歓迎していたかもしれない。だけど「他のもの」が、例えば家族の不幸だとしたらとんでもない。
そんな事態よりは自分で背負える今の不幸の方がはるかに楽だと思ったから、逃げずに正面から事態に向き合えた。

金融危機の時、銀行の経営が傾いてボーナスカットになった時も、「8割カット」と嘆かずに「2割支給」と考えようと、同僚たちには半ば自虐的に呼びかけた。
取引先の中にはボーナスなど出ないどころか、給与もカットなどというところがあったのだ。
苦境にある時はそこを抜け出す努力とあわせて、いかに楽観的でいられるかがピンチを脱するカギだと思う。

考えてみれば、こんなに恵まれた現代の日本に暮らしている事自体がかなりの幸運だ。
毎日今日も何も良い事がなかったと嘆くならば、今日も何も悪い事がなかったと喜びたい。
明日は良いことがあるだろうかと案ずる前に、今日を無事に終えて明日を迎えられる事を素直に喜びたい。

これからもいろいろな試練の弾が飛んでくるに違いない。
倒れたとしても前に倒れられるように、やるだけやってだめなら笑ってごまかせるように、いつでも前向き、楽観的に生きたいと思うのである・・・
     

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