2008年12月27日土曜日

批判

Sは同じ会社の知人である。
かつて同じ職場で仕事をした事もある。
人は良いと思うのだが、一点だけどうしても好きになれないところがある。
それは他人を批判する事だ。

批判自体誰でもするだろうし、それだけで取り立ててどうこう言うつもりもない。
赤提灯で一杯やりながら上司批判するのはサラリーマンの特権だ。
ただ、Sの場合は「口を開けば」という状態なのである。
今の職場だからかというとそうでもない。
我々の職場は数年おきに異動があるが、新しい職場に異動すればしたで新しいターゲットがその都度出てくるのである。

Sに会うたびにその時々の批判を聞かされる。
大体は上司の批判が多い。
最近ではもううんざりしてきて会うのも自然と減ってきた。
批判精神は大事であるが、批判をする前に考えないといけない事が3点ある。

1つはマイナスの言葉を使う事のデメリットだ。
どんな言葉を使うかは重要だ。
言葉は自らの考え方を表し、それはすわち己自身を表す。
マイナスの言葉を使う人間はすでにマイナス人間であると宣言しているようなものだ。
いくらフェラーリがいい車だとしても、騒音と黒煙を撒き散らして走るとしたら今のようにみんなの憧れを集められるだろうか。プラスの言葉を使う事によって自らもまたプラス思考に染まっていく。それは聞くものにも前向きの気持ちをもたらす。
そう常々思っている。

2つ目は上司との情報格差だ。
いくら自分の考えが正しいと思っても、それは「自分自身の知っている限りの世界で」という条件がつく場合が多い。上司にはいろいろな情報が集まる。
部分的にはSの言い分が正しくても、全体では優先順位が下がるという事だってある。
全体最適の立場からすれば、いくらSが部分最適を主張してもはじまらない。
自分の考えが全体の中でどう位置づけられるのか、残念ながらSの言い分を聞いているとどうも怪しい。

3つ目は上司もまた自分の人生で主役を演じているという事である。
自分が主役の自分の人生では、自分の意見こそが正義である。
上司からすれば、Sが批判したとしてもその判断は自分にとって常に正しい判断なのだ。
例えば非常に慎重なタイプの人は、石橋を叩いて渡らない事もあるかもしれない。
(実際私もこのタイプの上司に仕えた事がある)

ホームランを狙って三振するよりも、コツコツとヒットを重ねて点をとる事が確実なケースだってある。ホームランはいらないけど確実にヒットが欲しい場面では、慎重なタイプの人の判断が求められるのだ。その人自身の考え方を知り理解する事がまず何より大切だと思うのだが、Sにはそういうスタンスはない。

常に残念だと思う一方、自分自身への自戒としたいSの姿なのである・・・
    


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