2008年12月18日木曜日

幸せとは

  
「幸せとは気づくこと」
この言葉を知った時いろいろと考えた。
確かにそうだ。

人は誰でもみな「幸せになりたい」と願う。
しかし、よくよく考えるとすでに十分幸せだったりする。
特に日本に生まれて育っている人ならそうだ。
ただそれと意識していないだけなのだ。

例えば毎日通勤電車に揺られて会社に行く。
寒いこの時期は嫌なものだ。
だが、まず健康だから通勤できるという事実がある。
病気で病院の天井を眺めて暮らすのでは、例え寒空の下会社に向かわなければならないとしても、その方がはるかにいい。
まさに「我が物と思えば軽し傘の雪」である。

それに何より職があるという事は生活も維持できるしローンも返せる。
これだけでもかなり幸せだ。
また家族が健康だからこそ安心して家を出られる。
お金を出せば食べ物が買える。
本も買えるし映画も観られる。
何気ない日常生活は幸せに溢れているのだ。

冒頭の言葉はそれに気づかせてくれた。
誰の言葉かわからないが、教えてくれて感謝だ。
そんな事はない、自分は不幸だと思う人もいるかもしれない。
だがよく考えてみる事だ。

数年前に娘が肺炎で入院した事がある。
完全看護の子供病院だから親は9時になると帰らなければならない。
幼いわが子は行かないでと泣く。
後ろ髪引かれるなんてものではない。
9時になると帰りのエレベータでは涙を拭うお母さんと何度も一緒になった。
厄年だったから「何て不幸なんだ」と思った。

しかしある時ナースステーション横の病室から出てきたお父さんを見てショックを受けた。
ナースステーションの横という事は「すぐにナースが駆けつけられる」という意味がある病室だ。
そのお父さんは泣いていた。
お母さんではない、お父さんが、である。
その時、そのお父さんには悪いが自分は幸せだと思った。
その病院に通うのもせいぜいあと数日だったからだ。
数日で娘も退院できるからだ。
少しでも不幸だと思った事が恥ずかしかった。

そんな幸せを理解した上で、人間である以上更なる幸福を求めるのもまたその性。
チャレンジするのもまたよしだ。
仮に失敗したところでゼロではない。
すでにかなり幸せに包まれた現在の状態に戻るだけだからだ。
それはそれで大いに心掛けたい。

良い言葉に出会ったとつくづく思うのである・・・
  

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