2023年12月31日日曜日

2023年末雑感

 2023年も最後の1日となった。振り返れば365日、1日とて同じ日はなく、その1日1日が自分の人生を作っている。2年越しの裁判は和解という形で終わった。会社として借りていたお金の返金裁判を起こされ、結局全額返済させられた。たった1回返済が遅れただけで、次の月末には払うと告げていたのに裁判を起こされ、和解とは言え、全額返済させられたのだから負けに等しい。法律とは公平でもあり、冷たくもある。うまく利用した者が勝つとも言える。もう過ぎた事と諦めるしかない。

 裁判は元同僚たちにも支えられた。結果は驚くほど仕方ないと受け入れてもらえた。年末には忘年会にも声をかけてもらい、楽しいひと時を過ごした。元社長は恨まれた挙句、元社員たちとの人間関係を失った。本人はそんなものよりお金の方が大事なのだからいいのだろうが、価値観の違いというものは大きいものである。私としては、元社長には少なくとも一矢報いたし、元同僚たちとはこれからも年に何回か飲みに行ったりできるだろうし、それで良しと致したい。

 夏には息子の高校野球観戦に3度行った。炎天下の中であったが、両親も同行した。昔から高校野球は高校スポーツの中でも優遇されていたが、1回戦で駒沢球場、2回戦から神宮球場というのは贅沢である。ただ、親としてはありがたい。どこかの高校のグラウンドで立ち見となったら、高齢の両親はとても観戦できなかっただろう。3回戦でシード校に負けたが、1点差の接戦だったし、相手は結局甲子園に行ったし、十分だったと思う。親子ともどもいい思い出になったと思う。

 秋には伯父が亡くなった。突然の訃報で驚いたが、家族によると突然でもなかったらしい。コロナ禍で行くこともなかったので仕方がないが、伯父の時間は動いていたが、こちらから見た伯父の時間は止まったままだったのである。同い年の従兄弟が喪主を務め、私も弟と共に遺族側として葬儀を手伝った。いずれ伯母の時がくるし、その前に我が両親かもしれない。亡くなってから偲ぶのもいいが、生前に十分話をしておきたいと思う。父も急速にボケてきているから尚更である。

 年末には喪中葉書が例年より多く届いた。私の年代だとやはり親が亡くなったというのが多い。いずれみんなその時はやってくるわけであり、私と同年代の人の親ということは、みんなそれなりに長生きしていると言えるわけであり、それはそれでいい事だと思う。今年も一年を通じて毎週実家に通い、掃除と料理をした。料理も主菜と副菜の組み合わせとか、肉好きの父と肉を食べない母との嗜好の違い、高齢者向けの味付けの工夫と、ただ作ればいいというものではない難しさを味わっている。来年はもう少し腕を磨きたいと思う。

 順調だったのは仕事だろうか。会社の業績は目標未達であったが、M&Aに挑戦して成功させた。間違いなく自分がいなければできなかった事であり、会社の歴史に名前を刻んだという自覚を持てた。買収して子会社にした会社の役員にもなり、そこでの役員報酬をもらえることになって収入も増えた。その分、仕事は増えたが、収入増の対価であれば仕方がない。それに買収した会社にも社員がいる。みんながハッピーになれるようにしないといけない。本当の意味で成果に胸を張れるようになれるかどうかはこれからである。

 ラグビーではまたも秋の試合で膝が悪化してしまった。昨年同様、2ヶ月試合も練習もできず、復帰の予定は見えない。やはり頭の中とは違い、体は確実に老化しているのだろう。いつまでも同じようにラグビーをやり続けることはできないと思うが、自分よりも年上の人たちがまだまだやっているので、体に合わせてうまくやっていこうと思う。とは言え、体で覚えたラグビーを変えるのは難しいのも事実である。

 あと何時間かしたらまた新しい年を迎える。人の人生など壮大な宇宙の時の流れの中では、瞬きするよりも短い時間かもしれないが、これも一つの区切りである。ずっと続く長い道でも、途中にいろいろと区切りがあった方が道中の変化になっていいと思う。今年もいい年だったかと問われれば、幸福より不幸が少なかったという意味ではいい年だったと思う。また、次の一年もそう思えるように過ごしたいと思う。何はともあれ、健康で一年を終えられることは何より。感謝の気持ちと共に2023年を見送りたいと思うのである・・・

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像


【今週の読書】

 







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