2023年12月23日土曜日

正義とは

 今、帰りの電車中で『監禁依存症』という小説を読んでいる。その中で登場人物の1人が元警察官の父に向って問う。「正義ってなんだろう?」と。その小説は、性暴力を受けた被害女性が加害者のやり手の弁護士によって泣く泣く示談に応じさせられていく様子が描かれる。冒頭の問いはその理不尽さに憤った登場人物の人の発したものである。小説はあくまでも小説であるが、その問いは突き詰めて考える価値のあるものである。しかし、実はその問い自体が前提を間違えていると思う。すなわち、それは「唯一絶対の正義」を前提にしているところである。

 この世に唯一絶対の正義があると思うから、そのような問いになるのである。理不尽な目に遭ったキリスト教徒が「この世に神はいるのか」と嘆くのと同じである。「そのようなものはない」と考えれば当然の帰結だとわかる。そもそも「正義とは何に対する正義か」と考えれば、それは実は「自分に対する正義」なのである。小説の中では被害者の立場から正義を問う。それでいけば、被害者は救済され、加害者は罰に苦しむべきなのである。しかし、実は加害者にも加害者の(身勝手なとは言え)正義があるのである。

 私も前職では請われて入社してから社長に成り代わって赤字会社を立て直し、業績を向上させた。しかし、ある日突然、社長は会社を売却して引退を宣言した。私を含めて役職員は全員解雇。一応、再就職先は紹介してくれたものの、条件は大幅に悪化、退職金もなしとされた。我々はその理不尽さに怒りを覚えたが、社長からすれば自分は会社のオーナーであり、会社を売却するのは自由、退職金の規定も整備されておらず、払わなくても法的に問題はない。「何が悪いのか」と問われれば、倫理的な問題以外は何もない。そういう「正義」に基づいて動いていたのである。

 世界中から非難されるロシアにもロシアの正義がある。ウクライナがNATOに加盟すれば、国境にアメリカの核ミサイルが配備されることになる。そんな事は認められないと思うのは、アメリカがまさにキューバ危機で反応したのと同じである。そしてそんなロシアを弱体化させたいアメリカが、まさにそんな意図をもってウクライナを支援し、戦争の長期化に繋がっている。どちらが正義かという事を断言することができないのは、事実上ロシアを支持する国がかなりあることからも明らかである。

 突然、侵攻して無抵抗の市民を虐殺し、人質まで取ったハマスも独自の正義で動いている。反撃したイスラエルも当然、反撃は「正義」の行動である。ハマスの行為はどこからどう見ても悪であるが、そもそもイスラエルに不当に占領されていると考え、それに対する正義の抵抗だと考えているのだろう。アルカイダも自らのテロ行為を「聖戦」と称している。テロを「聖戦」などと言われても、そんな正義などあるかと思う。しかし、当の本人からすればそれはあくまでも神の認めた正義の戦いなのである。その正義感を覆すことは難しい。

 我が社でも一部の役員と社長との間がギクシャクしている。それぞれ自分の正義の観点から意見を主張し、それが相互不信へと繋がっている。間に立つ私は、いかにしてそれを解消すべきかとずっと考えているが、そこはお互いの正義をあわせていくことだろうと思う。すなわち、「どちらの正義が正しいか」ではなく、そもそも「何が正義か」というところである。我々の場合、それは「会社が良くなること」であると思う。

 当該役員は自分なりの正義を持ってはいるが、それはどちらかと言えば「担当部の正義」であり、自分のやり方、考え方によるものである。まず「何が会社にとっていいことか」から始まり、社長の考えが間違っているなら「会社にとっての正義」に基づいて話をすればいいだけの事。相互不信と対立はそれでだいぶ解消するように思う。「同じ土俵で勝負する」「同じ言語で話す」と言ってもいいかもしれない。

 国際平和も「自分の正義」ではなく、「相手の正義」を考えれば自ずから解決策は見えてくると思う。アメリカには隙あらば自分に反抗する中露叩きをしようという国益追及を緩和すればいいし、パレスチナ問題も結局は「どうやって共存共栄を実現するか」を考えればいい。犯罪者の身勝手な正義については難しいところがあるが、犯罪でない限りでは、「相手にも正義がある」と考えれば冷静に解決策を考えられるかもしれない。

 私も前職の社長に対しては、関連会社をいただくという形で反撃し、裁判で事実上敗北してだいぶ取り戻されてしまったが、それでも仲間とともに最低限度と考えていただけの退職金は確保できた。己の正義にばかり囚われていたら、気持ちが滅入っていたと思う。「人は誰でも自分の人生の主人公」なのである。映画『コンフィデンスマン』は、詐欺師を英雄化している映画である。悪人を騙すことで正当化しているものの、詐欺は詐欺である。しかし、それでもそこに正義はあるのである。

 「正義は相対的なもので、唯一絶対的なものはない」と考えるのが正しい正義論であると思うのである・・・

「ソクラテスの死」Gordon JohnsonによるPixabayからの画像


【今週の読書】

  



0 件のコメント:

コメントを投稿