2023年11月29日水曜日

論語雑感 述而篇第七(その23)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰二三子以我爲隱乎吾無隱乎爾吾無行而不與二三子者是丘也

【読み下し】

いはく、ふたたりのきんだちわれもつきんだちかくせりとかなわれかくすこと乎壐のみわれおこなふたたりのきんだちともにせるはし。きうかな

【訳】

先師がいわれた。

「お前たちは、私の教えに何か秘伝でもあって、それをお前たちにかくしていると思っているのか。私には何もかくすものはない。私は四六時中、お前たちに私の行動を見てもらっているのだ。それが私の教えの全部だ。丘という人間は元来そういう人間なのだ。」

『論語』全文・現代語訳

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 私が長年人生経験を積んできて得た教訓の1つは、「結婚は職場結婚に限る」という事である。なぜか。それは職場での働き方が家庭でのあり方を反映していると思うからである。結婚の失敗というのは、その多くが「性格の不一致」であろうかと思うが、なぜ結婚前にそれがわからないのか。それはお互い付き合っている時はいいところしか見せないからである。特に女性は猫を被る。結婚して一緒に暮らし始め、だんだん遠慮がなくなって素の状態になった時、「こんなはずではなかった」という幻滅が生じる。それが高じて離婚に至る時、その原因は「性格の不一致」とされるのではないかと思う。


 職場が同じ場合、そこでは割と素の状態が表れる。大きな組織であれば、各部署と連絡を取ったりする時にその人の本性が表れる。先日観た『シャイロックの子供たち』という映画は銀行を舞台にした映画であったが、劇中、取引先課の女性が営業課の女性に伝票処理を依頼してくるシーンがあった。そこで持って行った伝票の不備を指摘された取引先課の女性は、めんどくさいという態度とともに、不備を治すことすらせず、営業課の女性の上司である課長の机の上に伝票を置いて立ち去ってしまった。課長は何も言えずにそれを受け取る。元銀行員としては、よくありがちな光景だと思って観ていた。


 職場ではそんな態度を取る取引先課の女性でも、デートともなればしとやかな振る舞いをするのであろう。気を利かした行為で男性のハートを振るわせるかもしれない。しかし、その本性は上記の通りで、職場の同僚の仕事がやりやすくなるような気を使ったりすることはないわけで、今は猫を被っていても、結婚すれば本性が表れる。私も気の強い営業課の女性が、取引先係の男性に不備の伝票を突き返しているシーンを何度も目にしたものである(伝票を突き返すのは当然だが、要はその「やり方」、「振る舞い」である)。


 なぜ、「結婚は職場結婚に限る」と思うに至ったのか。それは何より私自身の経験に他ならない。それも残念ながら失敗経験である。私の場合は、妻とは勤務先は同じだが職場は違う。結婚してから、「取引先に不備伝票を叩き返していた営業課の女性」と聞き、家庭での様子に納得がいった。たとえどんなに美人であろうと、そういう女性には見向きもしなかっただろう。同じ職場でさえあったなら、確実に避けられたと大きく悔いたのである。私も人より賢いつもりであったが、まったく気がつかなかった次第である。ましてやお見合いなどは絶対に避けるべきであろう。


 人は何気ない普段の振る舞いこそがその人の本性である。上司に媚びへつらい、部下には傍若無人に振る舞う人物は、傍から見ればよくわかる。その人がどういう人物なのかは、本人ではなく周りにいる人こそがよくわかる。忙しいさなかでも、聞けばしっかりと教えてくれる人なのか、後にしろとうるさがられるのか。その対応にその人となりが表れる。その人が自分自身をどういう人間だと思っているのかは傍からわからないが、行動でその人となりはわかる。野村監督が言う「評価は人が下したものこそが正しい」のである。


 丘という人物は、言葉で教えるのはめんどうだと考える人だったのかもしれない。自らの行動を見て判断しろというくらいだから、意識的に自分の考えと行動を一致させていたのだろう。企業などでもよく「お客様第一」を掲げているものの、電話をすればどこも自動案内で、さんざん待たされてイライラさせられるという状態であるところは珍しくない。「言う事とやる事が違う」という人もザラにいる。そういう人から比べると言行一致というのはいいかもしれない。


 自分は果たしてどうだろうかと振り返ってみる。己自身、嫌な上司にはたくさん仕えてきた経験があり、自分はそんな嫌な上司にはなりたくない。ゆえに部下に留まらず、社内では極力丁寧に接するように心掛けているつもりである。それは何も善人振るつもりではないが、その方が自分自身気分がいいというのもある。そして評価については、良い点数をもらいたいというよりは悪い点数をもらいたくないという気持ちの方が強い。自分がいい気分になりたいというより、人の気分を悪くしたくないという考えである。


 自分ではわからない「他人から見た自分」。それはどんな様子なのか非常に興味はある。内面も大事だが、外に現れる態度がどうか。わからないなりに、理想的な自分自身を意識して振る舞いたいと思うのである・・・


steveriot1によるPixabayからの画像

【本日の読書】

 





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