2021年12月26日日曜日

年下の上司

 大学に入った時に一番カルチャーショックを受けたのが、年齢による差がなくなったことである。大学には一年浪人して入ったが、同級生には現役合格した者(つまり年下)と二浪して入った者(つまり年上)がいた。しかし、「同級生」であり口の利き方もタメ口。実は二浪した同級生が高校の先輩の友人であり、私の先輩をその同級生が呼び捨てで呼ぶのであるが、それが実に違和感のあることであった。ラグビー部では当然ながら実力主義。私は3年になってようやくレギュラーの座を確保したが、1年からレギュラーになった者もいた。また、レギュラーになれないまま卒業していく先輩もかなりいた。年齢は関係ないと、大学で初めて体感したのである。

 社会人になったのは、長年日本社会を覆っていた「年功序列」が崩れていく時代だった。始めに配属された支店にも、支店長より年上の銀行員はいたし、それはどちらかというと「学歴」の差ともいうべき要素が大きかったが、やがて出世のスピードの違いもハッキリとしてきたし、最初の昇格に漏れてそのままずっと管理職になれないままの同期も出てきた。既に年功序列は崩れていたが、やはり年下の上司の下にはつきたくはないという考えは、一種の「恐怖心」として身にまとっていた。そのまま銀行にいれば避けられなかったと思うが、なんとか逃げ切った今となってはホッとするばかりである。

 しかし、銀行のラグビー部では既にそれが実現していた。ラグビー部には様々なメンバーがいたが、私の在籍中に既に若手がキャプテンを務めるようになっていた。もちろん、実力で選ばれるわけであるが、それはそれで「屈辱感」のようなものは微塵も感じることなかった。しかし、仕事だとそういうわけにはいかなかっただろう。若手でもキャプテンシーが備わっていれば、十分キャプテンは務まる。中には学生時代にキャプテンを務めていた者もいるだろうし、周りもそもそも「実力主義」を理解しているので協力体制には問題ない。何の違和感もなく過ごせていたものである。

 年下の上司であっても、転職して配属された職場となれば、自分は後から入ってきたという「説明」が自分自身にもつけられるので気にならないかもしれない。しかし、後から入社してきた者が自分より下の地位から始めて「追い抜かれる」と心中は穏やかではない。水戸黄門の主題歌でもその悲哀が歌われている通りである。そこには「実力で抜かれた」という言い訳がきかないものがある。人間はどうしても「酸っぱいぶどう」で生きているところがある。年下の上司は言い訳のできない「ぶどう」である。

 シニアラグビーの新チームに移籍して2ヶ月が経過したが、居心地はいい。キャプテンはまだ40代の元気のいい「若手」。チームのメンバー一人一人に目配りをしていて、年上のメンバーには敬意を持って接してくれる。仕事は何をやっているのかわからないが、たぶん仕事もできる人だろうと思う。年下のキャプテンだが、ラグビーの世界ではもう慣れっ子なので気にならない。むしろ冷静に観察できているが、それゆえにキャプテンとして実に相応しいと思う。試合中も臨機応変でチームに戦術の指示を出している。私もやりやすい。同時に自分にはできないなと思うが、だからと言って変な感情は抱かない。

 新しい会社では、役員の1人は年下であるが、引け目は感じない。「後から入った」という言い訳もあるが、実はそれだけではない。お互い違う経験を背景としており、私は私の経験の範疇でしっかり上回れるものがあると思うからである。やはり、そうした「核」があると、「酸っぱいぶどう」に頼らなくても自信を持っていられる。そういうものも大事だと改めて思う。結局のところ、年下の上司が嫌だと思う心の底に自分自身に対する自信のなさがあるのかもしれない。「これは負けない」という「核」があれば気にならないのかもしれないという気がする。

 働き方改革も単なる早帰りだけではなく、在宅ワークも含めて多様な働き方がこれから出てくるのかもしれない。上司も部下もいろいろな人がなるのだろう。その時に自分に核となるものがしっかりあるかどうかは非常に大事だと思う。小さな会社ではあるが、いつ役員のポジションを打診されてもいいように、準備と実績とを積み重ねておきたい。相手が上司だろうと部下だろうと同じように接し、自分のできることをしっかりとやりたい。そして周りの人の信頼を集めながら、1日でも長く働きたいと思うのである・・・


Tú NguyễnによるPixabayからの画像 

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