2021年8月15日日曜日

AI独裁

 先日、『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』という本を読んだ。その前にも『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』という本も読んでいるが、「サピエンス三部作」と名付けても良さそうな人類の過去、現在、未来を語ったユヴァル・ノア・ハラリという人の記した大作である。その中で、AI(アルゴリズム)の進化について語っている部分が深く印象に残った。

 AIの進化については至る所で語られている。医療の分野では、たとえば画像診断で医師でも見落とすような異変を指摘できるそうである。やがて診断はすべてAIが行い、治療方針もAIが決め、手術もロボットがやるようになれば医師の出番はほとんどなくなってしまう。それが様々な分野に進出する。ちょっと衝撃的でさえあったのは、「自動運転」「軍事技術」「政治」であろうか。詳しくは本書の一読をお薦めしたいと思う。

 なかでもたとえば軍事技術では、AIを搭載したロボット兵士の話は衝撃的でる。殺人ロボットなどというとSFの影響でついつい危険視してしまう。しかし、AIは事前に決められたルールに従って正確に行動(つまり敵を殺害)する。人間と違って戦闘中に正気を失うことがない。ベトナム戦争では「ソンミ村の虐殺」という米軍兵士が民間人を何百人も虐殺した事件が起こってしまったが、ロボット兵士ではそういうことが起こらない。史上初めて戦場で「戦場ルール」が遵守されることになるという。

 また、近年、イギリスのEU離脱(ブレクジット)が話題となったが、大衆はしばし感情に左右される。わが国でも小泉首相が郵政民営化を唱えた時に支持率が急騰して郵政選挙に圧勝したり、民主党が圧勝したり、戦前であれば朝日新聞を筆頭としたメディアの煽りによって大衆が熱狂し、軍国主義へとまっしぐらに突き進んで行った過去がある。AIは感情に左右されないから、冷静に合理的に判断を下す。そうすると、誰に投票したら良いのかとということについて、過去の実績や言動などに基づいて冷静に判断を下すようになるかもしれず、人はなかなかその判断を無視しにくくなるかもしれない。

 それどころか政策すらもAIが判断して決めることになると、それは果たしていいのかどうかと疑問に思うが、よくよく考えると人間よりもいいのかもしれない。前東京都知事の猪瀬直樹による著『日本人はなぜ戦争をしたか』によると、昭和16年夏の段階で総力戦研究所という所が、「もし日米開戦すれば日本必敗」という研究結果を導いたという。彼我の国力を冷静に分析した結果であるが、時の東條英機首相は労をねぎらいつつも現実は理屈通りにはいかないとして、この成果を却下している。もしもAI首相であれば違う決断を下していただろう。人間の政治家が何人も集まるより、AIなら一台で事足りてしまう。それは果たして危険な未来なのだろうかと考えてしまう。

 他愛もない話だが、十代の頃は恋愛で好きな相手との相性を占ったことがある。結婚前は今の妻との相性である。妻との相性はかなり悪く、ショックを受けたのを覚えている。「まぁ、所詮くだらない占いだから」とバカにして気にしなかったが、今にして思えばバカになどせず真面目に捉えて他にしておけば良かったと思う。もしもAIが結婚相手を決めるとなれば、膨大な結婚・離婚データを元に最適な相手を選んで勧めてくれるだろうし、そうなれば一時の感情に流されて後になって後悔することもないのかもしれない。生まれる子供の可能性まで判断材料とすれば、その方が幸せなのかもしれない。

 子供が生まれれば、両親の性格や遺伝データから生まれた子供の性格を判定し、最適な進路を提示する。あとは決められた通りに進学し、就職し、結婚する。能力が発揮できる会社に就職し、能力が発揮できる上司との組み合わせを選んで配属先が決められる。それに沿って能力を発揮すれば昇進させてもらえる。しかし、出世しても副社長どまりかもしれない。なぜなら経営判断はAI社長が行うからで、それによって放漫経営などとは無縁になり、働く社員もハッピーになるかもしれない。「会社は社長の器以上に大きくならない」という真理があるが、そうするとどの会社も果てしなく大きくなるだろう。

 「独裁」という言葉は悪いイメージでしかない。そこには民意を無視して独裁者が好き勝手に振る舞い、大衆は圧政に苦しむというイメージである。しかし、もしもAIが大衆にとって常に最適な政策を施行するような社会となった場合、「AI独裁」は悪い政治形態なのだろうか。ワンマンAI社長の下で働く社員は、安月給で働かされ放漫経営で会社が潰れる心配はないとなると、果たしてそれは悪なのであろうか。少なくとも、「会社はオレのもの」と勘違いして好き勝手する社長よりは圧倒的に善であると思う。国もまた然りか。

 人間が一番と思い込んでいると、ひょっとしたらそれは大きな間違いなのかもしれない。そして我々は少なからずSF映画に毒されているのかもしれない。もしかしたら、大事な判断は人間がやるよりもいいのかもしれない。いろいろと想像力を働かせてみると面白い。こういう思考訓練になるような本をこれからも読んでいきたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



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