2021年7月4日日曜日

社長の器

 「企業は社長で決まる」とか「企業は社長の器以上に大きくならない」ということはよく耳にするが、大企業はともかくとして、中小企業においては真実であると思う。「攻め」に重点を置くのと「守り」に重点を置くのとでは大きく異なる。「攻め」ばかりの経営では時として「暴走」になるかもしれないし、「守り」ばかりでは成長につながらないかもしれないし、船が沈む時に座して死を待つようにもなりかねない。攻守のバランスが取れないとうまくはいかない。

 とは言え、社長も1人で切り盛りできる規模には限度がある。ある程度の規模になれば、当然部下をうまくコントロールしていかないといけない。その時、いかに部下のモチベーションを上げていくかによって、企業全体のパフォーマンスにも影響を与えるだろう。鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓石には、「己より優れた者を周りに集めた者、ここに眠る」という言葉が刻まれているという。必ずしも自分自身が優秀でなくてもいいということである。

 部下をうまく使いこなすと言うは易しいところはあるが、具体的にはどうするかと言えば、「権限委譲」がマストであろう。何をやるにしても一々お伺いを立てないといけないようでは効率も悪いし、部下も常に「決めてもらおう」という「依存心」にとらわれてしまう。それに何かあっても「決めたのは自分ではない」という言い訳ができてしまう。権限委譲には「勝手なことをされる」という恐れがつきまとうが、それについては「腹をくくる」か「委譲する範囲を明確にしておく」かしかない。そこをうまくやるのがポイントなのかもしれない。

 権限を委譲したら「後から文句を言わない」というのも大事なこと。これをやられるといかに「権限委譲」したとしても、部下としては思う通りにできないので、結局同じである。「任せる」ということは、うまくやってくれるのだろうかという不安との戦いとも言える。ゆえに「任せることができる」というのも1つの能力であり、将たる器の証とも言える。しかし、一方で、形は同じでも中身がまったく違うという場合もある。それは「お飾り」の場合である。

 たとえば、創業社長の2代目というケースで、入社した時から若くして取締役。仕事はすべて部下がやってくれる。自分はそれを裁可するだけ。よくわからないから黙って判子を押すだけというようなケースである。何か考えがあって部下にそれを伝えた時、実情にあっていればともかく、そうでなければ部下に反論されたり嗜められたりする。実力がないから説得もできないし、強引にやろうとして権力に頼れば部下のモチベーションを奪う。お飾りに徹してくれていればありがたいが、そうでなければ困った存在となる。

 そもそもそうした「できない社長」にならないためには何が必要なのかと言えば、1つには「事業に対する思い」があるだろう。「自分は何のためにこの事業をやっているのか」、「この事業を通じて何を達成したいのか」をきちんと語れるかが1つの目安である。それが明確であれば、経営にも一本筋が通る。そうすれば何を実現するかが明確になり、委譲する権限も明確になる。部下も何を目指せば良いのか理解できれば、行動も明確になる。

 中には、そんな立派な目標などないという企業もある。ただ「自分が食うために」「社員を食わすために」働いているというところである。それが悪いとは言わないが、2代目社長のようなボンボン社長の場合だと、働く必要がなくなればさっさと事業を放り出すことにつながる。金があって食うに困らず、無理に働く必要もなければ人間働かないだろう。そこに「社員を食わすため」という歯止めがあればまだしも、なければ社員の迷惑など顧みずに廃業するということもありうる。こうなると、悲劇はそこで働く社員である。

 社長になるのは誰でもなれる。金を出して登記をすれば誰でも会社は作れるし、誰でもそうして作った会社の社長になれるのである。そこで「稼げるか」という問題をクリアーして初めて経営者になれるのであり、社員を雇ってさらにどこまでそれを上手くやれるかはその人の才覚である。と言っても、自分で作った自分の会社だからと言って好き勝手できるものではない。人を使っていかに上手く事業を回して会社を維持していくかは簡単ではない。

 社長として人を雇って給料を払えば誰でも偉いというわけではない。社長には日頃の言動から「器」が滲み出る。社員はそれを敏感に感じ取る。社長の器の大きさは、社員であれば感じ取ることができる。器の大きさを事前に感じ取れればいいが、それはなかなか難しかったりする。入ってから「しまった」と思っても後の祭りである。逆に採用した社員が権限を委譲できるレベルにあるかどうかを事前に見極めるのも難しいだろうからお互い様なのかもしれない。

 転職活動をするにあたり、給与等の条件面も大事なのであるが、社長の器も大事だと考えている。入ってから果たして全力で仕えるに値する人物なのかどうか。間違いなく見極めることは不可能であるかもしれないが、そういう「視点」は持っていたいと思う。新天地でも苦難はあると思うが、まだまだ走り続けないといけないし、まだまだ走り続けたいと思う。新天地には腹を括って飛び込みたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 


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