2021年7月18日日曜日

子供の人格形成には何が影響するのだろうか

 高校1年になった我が息子。小学生から野球を始め、いずれラグビーをやってほしいという親の願い虚しく、高校でも野球部に入部。この夏、甲子園の東京予選では1年ながらレギュラーで試合に出場した。もっとも、弱小都立高の野球部ゆえ部員の層が薄いのが幸いしたと言える。本当はいきなりレギュラー出場するよりも、「ライバルを追い抜けないと試合に出られない」という環境が本人の実力向上という部分では良いと思っていたが、致し方ないところである。

 さっそく、夕食の席では実力の劣る先輩をバカにするような発言をしていて、なんとかしなくてはと考えている。たとえ実力が劣っていても、先輩は先輩。仮に後輩だとしても、野球は1人ではできないチームスポーツであり、実力のいかんに関わらずメンバーがいないと試合はできない。まずはチームメイトとしていてくれるだけでありがたいものである。実力が劣るなら、チームとしてそれをどう克服するかを考える方向に向けないといけない。仲間を大事にするのはチームスポーツの基本中の基本であり、そんな仲間に対する態度としても良くない。どう伝えれば効果があるのか。頭ごなしに言って効果があるのか悩ましい。

 3代目で会社が潰れるというのはよく耳にすること。初代が会社を立ち上げて成功しても、2代目は割と初代の苦労を見ているし、直接薫陶を得られるのでまだいいが、生まれた時から恵まれた環境が当たり前だと思って育つ3代目はバカ息子になりがちで、ゆえに会社を潰してしまうというのである。初代は親として子供に自分がした苦労はさせたくないと思うのだろうが、その親心が仇になる。初代がどうやったらその成功のエッセンスを孫にまで伝えられるかは難しいと思う。

 57年も生きていれば、それなりに世の中のことも少しはわかっていて、失敗も数多く経験している。それゆえにどんな考え方をしたら良いのか、すべきなのか、ある程度の考えはある。そうした考え方は息子にも(娘にも)伝えていきたいと思っているが、そうした親のアドバイスが時として煩わしいものだったりすることは、「子供の立場」を経験してきているゆえによくわかっている。伝え方によっては、その内容の良し悪しに関わらず、受け入れてもらえないものである。

 そもそもであるが、そうした親の考え方、価値観が正しいかという問題もある。もっと言えば、正しいか否かというよりもその価値観が自分の性格に合っているか否かもある。人生の優先利益に「お金」を置く人もいるし、「仕事」を置く人もいる。タイタニック号では人を押しのけて助かった人もいるし、人を助けて犠牲になった人もいる。人を押しのけて助かった人が悪いかと言えば、人は生きていてこそなのであり、法律では「緊急避難」という概念(溺れている時は同じく溺れている他人から浮き輪を奪っても許される)も認められている。何が正しいかをこれと決めることはできないことは多い。

 社員を家族と考えて大切にする社長もいれば、自らが金儲けをするための道具と考える社長もいる。ワタミの渡邉美樹会長などは、自分が若い頃ハードワークで苦労し、それが自身のために良かったと考えているゆえに社員にそれをさせようとしたのか、一時「ブラック企業」のレッテルを貼られてしまっていた。親の心子知らずとも言えるし、人にはそれぞれの価値観というものがあるので、押し付けるのもよくはない。「仕事が大事」と考えるなら、ワタミの会長の考えはわかるが、例えば「仕事よりも家庭」と考える人には苦痛でしかないだろう。

 人は誰でも自分が正しいと思うことを子供には伝えたいと思うだろう。野球であれば(スポーツは何でもそうであるが)、やはり練習が大切であり、家に帰ってきてからも素振りくらいはしてもいいんじゃないかと思う。勉強ももちろん大事。(そこそこレベルの高い)高校に合格し、安心したのか、一学期の成績は良くない。そして本人もそれを悪いと思っていない。やっぱり文武両道は両立して欲しいと思うのは親の考えだが、うるさく言っても逆効果のように思う。

 すでに性格からして息子は私とは異なる部分が多い。明るいキャラクターでどうや人を笑わせるのが好きみたいである。友人とはどんな交流をしているのかはわからないが、「少数精鋭」的な私とは違うようである。それはそれで延ばしていって欲しいと思うが、「努力」という言葉も胸に刻み込んで欲しいと思う。黙って見守るのがいいか、あれこれとうるさく口に出すのが良いかは難しいが、「そう言えば親父はこんなことを言っていたな」と時に思い出してもらえるのが理想である。

 以前読んだ『わが子を強運にする51の言葉』という本は、経営者であった父の言葉を娘である著者が紹介するというもの。その内容もさることながら、娘がそんな形で父の言葉を記憶して自分のものとしていることに感動を覚えたものである。できるものであれば、自分もそんな言葉を子供たちに残したいし、自分が考える「こうなっては欲しくない人間」にならないように育てたいと考えている。それには何が必要なのか。それがただいまの大きな課題である。

 バカ娘にバカ息子にならないためにはどうしたら良いのだろうか。それは一番力を入れて考えたいと思うのである・・・



【今週の読書】
  



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