2021年2月18日木曜日

ガラケーを使う人

 毎日の通勤電車。私はほとんど本を読んで過ごしているが、今は多くの人がスマホを見ている。チラホラと目につく限りでは、FacebookやLINE、ニュース系、ゲーム等内容は様々である。今やスマホには本当に多くの機能が入っているので、スマホを眺めている人を見ても何をしているのかは本当にわからない。つくづく、便利で凄い製品だと実感する。そんな人たちに交じって、いまだにガラケーを使用している人もいる。その多くは(と言ってもあまり見かけないが)高齢者である。

 一般的に高齢者は新しいものを嫌う。一昔前は、銀行のATMはわからないと言って頑なに窓口を利用していたお年寄りがいた。さすがにATM普及後の世代が高齢化するにつれ、そういうお年寄りは少なくなっているのかもしれないが、スマホに抵抗感を示すのは同じ理屈だろうと思う。ただ、80を超えたお年寄りでもスマホを抵抗なく利用している人もいる。私の実家の両親もスマホを利用しているが、積極的に切り替えた父と壊れてやむなく切り替えた母との使い方にその違いが現れている。

 父親はスムーズに使いこなしている。利用しているアプリの数はそれほど多くないが、それでも気になったものは私に使い方を聞いて覚えていっている。ところが母はいまだにメールと電話しか使えていない。写真やLINEなども教えるが、教えたそばから忘れていく。したがって毎回使い方を教えないといけない。両親は同じ年だが、その差はどこから出てくるのだろうかと言えば、それは「好奇心」だろう。「知りたい」「覚えたい」と思う気持ちである。

 ちょっと前までは、私の知り合いにも頑なにガラケーを使い続けている人がいた。私と同年代でも、である(それをFacebookで主張していたり・・・)。ガラケーが悪いとは思わないし、バカにするつもりもない。ただ、1つだけ言えるのは、そうしてガラケーを使い続けている人には、決定的に「好奇心」が欠けていると思う。世の中に普及しているスマホに対して、「使ってみよう」という好奇心がないということである。この好奇心の欠如に関しては、ビジネスマンとしてはいかがなものかと思わざるを得ない。

 ビジネスマンとしては、世の中の動きはすなわち顧客の動きであり、自分がどうこうではなく、お客さんはどう動いているかである。私のような不動産業界でいけば、お客さんはスマホで物件を検索しているわけであり、であればお客さんがから見てどのように見えるかは自分で使ってみないとわからない。そうした直接的なものだけではなく、ちょっとした世の中の変化に気づくのは、「あれ?これはなんだろう?」という好奇心である。ビジネスでは、「鈍感は罪」である。

 私はと言えば、好奇心は強い方だと思う。初めてパソコンを購入して使い始めた時は20代後半の1990年代前半の頃だったが、叔父に「パソコンで何をするんだ?」と半分バカにされたように問われたことがある。その時は何をするかというより、「何ができるんだろう」と考えて買ったのである(東芝のDynabook、まだMS-DOSの時代である)。その叔父はその後パソコンを得意気に使い回し、スマホも使っている。父はパソコンもスマホも私が勧めると素直に手を出したから、やはり好奇心は強い方なのだと思う。「やってみよう」というチャレンジ・スピリットもある。

 ガラケーにこだわり、「スマホなんて必要ない」と言っている人は、この好奇心とチャレンジ・スピリットの乏しい人だろうと思う。「ガラケーだからダメ」ではなく、「好奇心(とチャレンジ・スピリット)がないからダメ」なのである。もちろん、人それぞれだからダメと言ってしまうのも問題だとは思うが、その人を判断するにあたり1つの参考にはなるだろう。少なくとも我が社に採用面接でやってきた場合、ガラケーしか使っていなかったらまず一緒に仕事をするのは無理だろう。

 好奇心は、人間(の進歩)にとっては必要不可欠なものであると思う。好奇心から人間は知識を広めてきたのだし、今日の繁栄を築いたわけである。それは人類ベースだけの話ではなく、個人ベースの話でもある。それがないということは、個人としても進歩が期待できないということになる。世の中がどのように動いていようとも、昨日と同じ今日を過ごすことに抵抗がなく、明日も明後日も同じ一日を過ごすことに安堵する精神は、老人のものである。

 サミュエル・ウルマンは、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言う」という詩を残した。その詩にあるが如く、精神の老化は年齢とは関係ない。若くとも精神の老人である人は実際いる。その重要なポイントは何かと言えば、好奇心だろうと私は思う。「なんだろう?」「どうなっているのだろう?」「どうやってやるのだろう?」そういう好奇心から、人間は進歩・成長していくものであると思う。

 とは言え、スマホを持っていればいいというものでもないのは確かである。スマホで何をやっているのかとよく見ればゲームばかりしている、あるいはマンガばかり読んでいたりテレビドラマを見てばかりというのもいかがなものかと思う。使っているだけマシではあるが、メールがLINEになっただけというように、単に「携帯の延長」だったら同じかもしれない。普及が進めば好奇心というよりも自然の流れという意味合いが強くなる。ただ、それでも抵抗する人は好奇心という点からいけば周回遅れと言える。

 自分もこれから60代、70代と確実に歳をとっていく。それでもなお今の好奇心は失わないでいたいと思う。何ができるかわからなかったにも関わらず、ボーナスをはたいてDynabookを買ったあの時の気持ちをずっと持ち続けていたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 



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