2021年1月17日日曜日

差別について思う諸々のこと

 毎週末の夜は映画を観て過ごしているが、この週末は『ブラック・クランズマン』という映画を観た。1979年を舞台に、KKKに潜入捜査を行った警官の物語である。ここで描かれるのは人種差別。人種差別の映画は珍しくもないが、映画のラストで2017年のアメリカにおける事件が描かれていて、それが昔の出来事ではなく、現在もまだ色濃く残っている問題なのだと思わされる。デビッド・デュークというKKKの要人は、当時既に演説で「アメリカ・ファースト」と訴えている。

 幸い我が国はここまで酷い人種差別はないが、あるのは(あったのは?)部落問題だろうか。この問題を初めて知ったのは、大学を卒業して就職した銀行の研修であった。関西系の銀行であったから余計に意識が高かったのかもしれないが、最初は「いつの時代の話なんだ」と面食らったものである。そんなのが現在進行形であるとは思っていなかったのである。同じ研修を受けた関西出身の妻は、小学生の頃からそういう教育を受けていて、「またか」という感覚だったらしい。考えてみれば、私はそれだけそういう差別問題とは無縁に育ったということだろう。

 ただ、両親が結婚した時(昭和34年)、長野県の望月に住んでいた祖父(母の父親)は、父の実家(長野県富士見)に突然訪ねて行ったそうである。距離にして60キロくらいあるが、祖父は原付バイクで往復したそうである。なぜそんな行動をしたのかと言うと、後からわかったのは、父が部落出身者でないかどうかを確認するためだったと言う。部落出身者を差別する気持ちはなかったようであるが、娘がそんな相手と結婚して苦労するのは避けたいと思ったのだろう。

 自分自身の経験としては、小学生時代に朝鮮人のことを「チョン」と呼ぶことを知ったことだろうか。差別といえば差別であるが、どちらかと言うと「あいつらはヤバイ(=危ない)」という意味で、侮蔑するというニュアンスよりも「近寄らないほうがいい」というニュアンスだった。ヤクザとおんなじ感覚である。もちろん、朝鮮人に対しては歴史的には関東大震災時の流言による大量殺害事件なんかもあり、侮蔑的な差別をしてきたのだろうが、私の経験はその程度である。

 そんな差別問題は、今はほとんど身の回りにない。したがって、我々の社会は差別の少ない社会だと言えるのではないかと思う。そもそも人はなんで差別をするのだろうかと思う。どうしても自分よりも下の存在を作り出していじめたいという意識があるのかもしれない。自分より劣った相手を見出すのは、1つには安心感がある。それが社会ベースで行われるのが差別と言えるのかもしれない。

 その昔、妻の祖母が部落差別について、「差別される人にはそれなりの理由がある」と語っていたと言う。祖母は差別肯定者ではなかったと思うが、おそらく幼少期よりそう教えられて育ったのだろう。私に部落差別の意識がないのも、親にそういう教えを受けなかったからに他ならない。差別を植え付けられて育ってもそこから脱出する人はいるだろうが、私はそれほど人格者ではないから、そんな教えを親に受けていたら、今頃多分立派な差別論者になっていただろうと思う。三つ子の魂なんとやらである。

 現代では差別というより「ヘイト」の方が問題かもしれない。ネットでの誹謗中傷や反韓といった問題である。個人的には、私は嫌韓である。韓国は大っ嫌いであるが、しかし(在日含む)韓国人というだけで嫌うようなことはしない。目の前で韓国人を紹介されれば丁寧に応じるし、いい人間であれば友達にもなるだろう。そこで慰安婦問題を持ち出されれば、歴史的な事実関係を知らないのだろうと哀れに思って距離を置くだろうが、そこまでである。自分からは近寄らないからあまり問題にはならないレベルではないだろうか。

 アメリカの黒人(先の映画ではユダヤ人も差別されていた)は外見が違うので、差別を助長しやすいというのはあるだろう。人間は異質なものに対する忌避感は誰もがあると思う。それに数的優位が加われば差別が出来上がる。日本でも穢多非人が多数派であったなら部落問題は起こらなかっただろうと思う(あるいは逆差別が起きていたかもしれない)。そして親からの教育が差別の存続を促すのだろう。

 映画を観ていて思うのは不快感。差別は当事者だけでなく、側にいる者も不快にさせる。トランプ大統領の言動を見て不快感を覚えるのは、健全な証拠かもしれない。部落問題のような大きな差別はなくても、個人レベルの小さな差別は出てくるかもしれず、そういう意味では気をつけたい。ただ、私の場合、女性差別だけはなくならないと思う。女性というだけで何事につけ甘くなってしまうのは本能レベルの問題で修正不能である。

 映画を観ながら、アメリカの黒人差別はあと100年くらいはなくならないのではないかと思った。これから日本にも外国人が増えていくかもしれないが、そういう差別社会にならないように願いたいと思うのである・・・


Melk HagelslagによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

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