2020年12月6日日曜日

考えて働く

 高校生の時だったが、将来どうするのかと聞かれた時のことをよく覚えている。その時は、「サラリーマンにはなりたくないから弁護士でも目指そうかと思っている」と答えた。まだ世間知らずだった私には、「サラリーマン=こき使われる人」というイメージがあったのである。それがサラリーマンになってみてわかったのは、「こき使われるも使われないのも働き方次第」ということであった。

 サラリーマンは確かに会社という指示命令系統の中の一員であり、指示された事はやらないといけない。しかし、それもやり方次第である。指示された事が、まず会社という組織の中でどんな意味があるのか、その目的を達するためにはそれが最善の方法なのか、最善でないとしたら最善な方法は何か、どうやったらできるのか、そんなことを考えて「こうしたらどうか?」という提案はできるだろう。いわゆる「考えて仕事する」という事である。

 もちろん、その結果提案を否定され、「言われた通りにやれ」と叱られるかもしれない。しかし、その時は指示された通りにやればいいだけ。更に言えば、どうしてそういう指示を出すのか考えてみればベストである。もしかしたら上司にしかわからない事情があるかもしれないし、単にめんどくさいだけかもしれない。そうして考える癖をつけておけば、常に自分の意見を持てるようになる。意見を持てばそれをどんどん表明することによって周囲の反応がわかり、意見が磨かれる。すなわち考える力が磨かれるのである。

 それは、後に自分が昇格した時に効果が現れる。何も考えずに上司の覚えめでたいだけで昇格した者は、今度部下から問われた時にボロが出る。考えていないから説明できないし、勢い「言われた通りにやれ」と言ってごまかすことになる。ルーティーンの業務指示ならこなせるが、イレギュラーになれば途端に困ってしまう。部下から問われてもすぐに適切な指示が出せない。係長なら課長にお伺いを立てて判断してもらうようになる。部下からすれば、「頼りない係長」ということになる。

 それは課長になっても部長になっても同じこと。難しい問題に接すると、どうしたらよいかわからない。部下から指示を求められてもすぐに答えられない。そういう上司を何人も見てきたが、それもみな考えずに仕事をしてきたツケが回ってきたものと言える。部下も結局、そういう頼りなさがわかるので、係長を飛び越えて課長に、課長を飛び越えて部長に指示を(あからさまにならぬように)求めるようになる。こうなると、上司も形無しである。

 そうならないためにはどうしたらよいのか。それはひたすら「考える力」を養うしかない。常にアンテナを張り、自分の意見を持つようにする。会議では必ず発言をする。自分の仕事の意味を考え、それが最善の方法なのかどうかを考える。自分には関係のないことであっても、我が事として、自分だったらどうするかを考える。それを繰り返せば、「お前はどう思う?」と意見を求められるようになるかもしれない。 

 週末に参加しているシニアラグビーでは、キャプテンがいて練習メニューはみな考えてくれる。私はただ行ってみんなと一緒に指示された練習メニューをこなすだけである。これはかなり楽である。何も考えなくていいし、「言われたことをやる」心地よさは快適である。だが、キャプテンとなれば、チームには何が必要で、強化する部分はどこで、そのためにはどんな練習をするのか考えないといけない。それはしんどいことであるが、その代わりチームについては一番理解していることになる。

 仕事でも同様、「言われたことだけやる」のは楽でいい。責任もない(正確に言えば責任回避ができる。なぜなら「自分は言われたことをやっただけ」だから)。しかしその結果、上の者からは指示待ち族というレッテルを貼られ、部下からは「頼りない上司」と思われる。それこそが、高校生の頃なりたくないと思っていたサラリーマンの姿に他ならないと思う。今あの頃の自分に会ったのであれば、サラリーマンのイメージを変えてあげられるだろう。

 これからもそんなことを意識していきたいと思うのである・・・


photosforyouによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
 



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