2020年12月31日木曜日

2020年大晦日雑感

 今年も早や大晦日である。世の中、一寸先は闇であり、何が起こるかわからないが、今も収まらぬコロナ禍はその最たるものだろう。怖いのは自分自身が感染することよりもそれを媒体して老齢の両親や家族に移すこと。普段、多少のことなら健康面では自身があるが、それを揺るがされるものである。いつの間にかマスクが当たり前になっているし、こればかりは年初にかけらも予測ができない出来事であった。

 仕事では、取引先の不祥事が発覚し、それが大きな余波となって会社に襲ってきた。なにせ主力の収益源を失うことになったのである。会社が立ちいかなくなれば家族の生活にもそれは及ぶ。社長も健康面からセミリタイア状態であり、今年から代表取締役副社長という肩書きだけは立派なものを与えられたが、会社の舵取りは全て我が肩にのしかかっている。プレッシャーから夜中に何度も目が覚めた。とりあえず新たな収益源を確保し、向こう一年は大丈夫だが、その先はどうなっているだろうか。

 娘はなんとか大学に合格した。高校までの成績であればトップクラスの大学も狙えたはずだが、途中で心の健康問題から失速。なんとか学生生活は送れているが(それもコロナでオンライン授業が大半という環境がいいのかもしれないが)、今はどこの大学だろうと元気にしていればいいと思っている。娘のケースは、改めて子供に何を望むかという問題に直面させられた。それは学歴ではなく、「幸せ」。どんな形であれ、幸せに過ごせるなら学歴も就職も結婚もなんでもいいと思う。そのあたりは間違えないようにしたい。

 一方、高校受験を控える息子は熱心に塾通いをしている。おそらく希望の高校には入れるだろうと思う。心配なのはわかるが、母親は息子がちょっとタブレットで動画を見て息抜きをしていると、「またそんなものを見て」とうるさく言う。私にも「タブレットを取り上げろ」と言わんばかり。しかし、勉強は24時間できるものではない。息子はNetflixの「ワンピース」にハマっているらしいが、「ここまでやったら観よう」というのはOKだと息子には教えている。それで集中して勉強できるのならいい「ご褒美」になる。

 母親というのは、何もわからないくせに「塾に通っていればOK」「机に向かっていればOK」というところがある。世の中のお母さんもそういう人が多いのではないかと思う。だが、塾で何をしているか、机に向かって何をしているかが問題である。ただ、ぼうっと勉強したつもりになっていても意味はない。タブレットで動画を見ていたって、「1時間集中して勉強したご褒美」であればむしろ好影響がある。そういうことは、自分はろくに勉強していなかった妻よりも、苦労して勉強して一流大学に合格した私の方が正しく指導できる。息子にはこっそりとそう教えている。

 銀行を辞めて6年。当時の同期の1人が関連会社の社長になったという。思えば1988年4月に横一線に並んで入行したのに、今では様々に差が開いている。トップは役員になっているし、関連会社の社長なら頑張った方だろう。取引先に出向・転籍してそれなりの地位にいる者もいるし、身分は関連会社になりながら、支店で若手と机を並べて似たような仕事をしている者もいる。その差はなんなのか。もちろん、私が三種の神器と考えている「考え方」「熱意」「創意工夫」の差もあるだろうが、大きなのは「コミュニケーション能力」だと思う。

 コミュニケーション能力は、私が社会に出て、痛切に苦手意識を持ったものである。これがうまくできていたら、私も銀行内でもっと出世していただろうと思う。仕事でも自分の考えを誰が相手であろうと物怖じせず伝えられる自信があるが、大事なのは相手にそれが正しく受け入れられること。キャッチボールで言えば相手がきちんと取れること。強すぎても高すぎても低すぎてもいけない。上手に投げることではなく、相手が取れるように投げること。これが私にはできなかったと思う。

 「できなかった」で終わりにするものではなく、その改善はこれからも続けていかなければならない。会社では、先行きの不安はあるが、それでも年上の部下をうまく導いていくにはやっぱり「コミュニケーション能力」は欠かせない。来年はこれを改めて重視してみたいと考えている。いまさらではあるが、自分の欠点として放置することなく改善努力はしてみたいと思う。それで少しでも社内の活動を円滑に進め、会社を1年でも長く存続できるように航海の舵取りをしていきたいと思う。

 来年の大晦日にどんな振り返りができるのか。1つでも多く改善できるように頑張りたいと思うのである・・・


ar130405によるPixabayからの画像 

【今週の読書】

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