2020年12月3日木曜日

やるなら全力で

 以前、会社である賃貸不動産の管理をしていた。昔からのよしみで無料で管理していたのであるが、ある時大家さんから厄介な要求が来た。手間がかかる上に、リクエストが厳しかったのである。その時、担当者がポツリと「タダでやってやってんのに文句言われたくないよなぁ」と漏らした。偽らざる本音だと思う。その時、私は「ならタダでやるのはやめましょう」と提案した。きちんとお金をもらってしっかりやるか、それともタダでやれと言うならここらで終わりにするかである。

 結局、大家さんとお話をしたところ、お金は払うと言うことで落ち着いた。それを機に、他にもタダで引き受けていたものを一斉に有料に切り替え、お金は払いたくないと言われたものは管理を打ち切った。それはそれで相手の選択であり、やむを得ないところである。それまでやっていたものを「お金をくれないならやめる」と言うのも世知辛い気もするが、それがいつの間にか「やってやっている」と言う感覚になってしまっていたのも事実。いい機会だったと思う。

 私の考え方として、基本的に「やるなら責任を持ってやる」という主義である。それが有料か無料かは問わない。「有料ならしっかりやる」、「無料なら適当に(あるいは程々に)やる」というのは性に合わない。「やるならしっかりやる」、「中途半端にやるくらいならやらない」と言い換えられるかもしれない。会社にもそのスタンスを求めたもので、「しっかりやる」か「やらない」かを明確にしたのである。お金は1つの判断基準でしかない。

 実際、有料にはしたものの、その金額は割安である。金額の多寡はあまり関係ない。「有料でやる」と決めた以上、たとえ1,000円であろうときちんとやるべきであり、サービスを安売りしたくないと考えるなら、きちんと金額を決めるべきである。そして決めた以上(その金額が不本意だとしても)、100%のサービスを提供すべきである。また、無料であっても、やるなら有料の時と同様に100%のサービスを提供すべきである。例えば、ボランティアなどがこれに当たる。

 私もラグビー部のOB会の幹事をボランティアで引き受けているが、これは「やる」と決めたことだから無償でもきちんとやっている。タダだからいい加減でいいやなどとは思わない。やる以上は自分に出来るベストを尽くすのが当然だと思っている。そもそもそういうボランティアの仕事を頼む方も、「あいつだったらきちんとやってくれるだろう」という期待があるわけで、そういう期待を持ってもらえたのはありがたいこと。ならばその期待にも答えないといけない。それがボランティアの動機だろうか。

 仕事は給料をもらうのでなおさらしっかりやらないといけない。常に「給料以上の仕事をする」というのが自分の考えである。「安い給料だからやってられない」という考えは自分の中にはない(ように意識している)。もちろん、給料が高くなれば高くなるほど期待値も高まるわけで、それ相応の仕事もしないといけないのは当然である。だから今の社内では、周りの人の仕事ぶりには少しばかり不満はあるものの、「給料が違うのだから仕方がない」と思うようにしている。

 思えばそんなふうに考えられるようになったのも、社会人になって随分と経験を積んできたからと言える。大学を卒業して銀行に入った頃の私はとてもそんな考え方はできなかった。当時、配属された支店によって「当たり外れ」があり、私は「外れ」であった。5月は研修期間中で定時に帰れるはずが、私の配属された支店はそんな配慮などまるでおかまいなしで、サービス残業をして寮に帰ると、他の支店の定時に終わった同期が一杯引っ掛けて帰ってきたところというのが常で、その不公平に随分と文句をこぼしたものである。

 今、あの頃の自分に戻ったらどうするだろう。仕事などまだろくにないから暇ではあるが、いろいろと周りの人の仕事ぶりを研究して覚えられるものはないかと鵜の目鷹の目になるだろう。サービス残業などと否定的に考えず、すべて自分の実力強化の為と割り切って積極的に吸収するに違いない。研修期間中にも関わらず、定時を過ぎて残っていても何も言わないどころか当然だと思っていてくれる環境はありがたかったのかもしれない。そう思うと、考え方ひとつで随分と違うものだと思う。

 幸いなことに今はそんな風に考えられる。「やるなら全力で」。それでこの先もやっていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】




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