2020年10月11日日曜日

鬼滅の刃に思う

  『鬼滅の刃『鬼滅の刃』が話題となっている。最近、あちこちで見かけるし、主題歌もヒットしていて、昨日もテレビで放送していたようだし、例によって映画版もつくられたりしているようである。そんなブームを見て、ちょっと観てみるかとNetflixで観てみたら、つまらなかったら途中でやめるつもりが、とうとう最後まで観てしまった。さらに現在はkindleで漫画を読んでいるところである。個人的にも久々に面白い漫画だと感じている。何がそんなに面白いのだろうか。

 物語はまだ明治の世の中が舞台。山の中で貧しいながらも仲睦まじく母と弟妹と暮らしていた主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、ある時炭を売りに山を降りている間に鬼に家族を殺されてしまう。唯一生き残った禰󠄀豆子(ねずこ)も鬼になりつつある(鬼に殺されなくても血を浴びると鬼になってしまうのである)。炭治郎はなんとか禰󠄀豆子を元に戻したいと思うが、鬼殺隊の隊士に出会い、自らも隊士となって鬼に対峙し、妹を戻す方法をさがそうとするというもの。

 厳しい修業に耐え、仲間と出会い、鬼を退治しつつ鍵を握ると思われる鬼のトップ鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に迫るというのが大まかなストーリー。まず心打たれるのは炭治郎の優しさだろう。父を病気で亡くし、長男の炭治郎は懸命に働いて母を助け弟妹の面倒を見ている。冒頭では正月を控え、みんなに腹一杯食べさせたいからと、「無理をするな」「連れて行って」と言う母と弟妹たちを残して町に降りる。町でも炭治郎は皆から好かれ、頼みごとを引き受けるうちに帰りが遅くなり、知り合いに言われるがまま泊まっていく。悲劇はその間に起きる。

 世の中、真面目に生きていても無情なことは起きる。人間そんなことがあれば優しさの感情を失ってもおかしくはないが、炭治郎は憎いはずの鬼に対しても、苦しまずに済ます方法を考えて殺すのを躊躇する。そんな優しさは鬼殺隊の隊士には不向きと鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)は感じるが、炭治郎に何かを感じてトレーニングを課す。炭治郎は厳しい訓練に耐え続ける。人間強い目標があれば困難に耐えられる。やがて鬼殺隊の独自の呼吸法を身に付け、鬼殺隊の隊士となった炭治郎は徐々に腕を上げていく。

 主人公が、試練に耐えながら力をつけてライバルを倒していくというのは、この手のストーリーの王道パターンであるが、ありふれたものになるか飛び抜けるかは、そこにどう味付け肉付けされるかだろう。自分には厳しい炭治郎だが、周りには優しい。鬼も最初から鬼である訳ではなく、鬼舞辻無惨によって鬼にされたのであるが、鬼にも鬼になるまでのドラマがある。人間だった頃に辛いことがあったりと、同情の余地が大きい。ダース・ベイダーも初めから悪の存在ではなく、愛する女性を助けたいとフォースの暗黒面に落ちたのと同様である。

 世の中、思い通りになるものではなく、辛いこと、悲しいことがあり絶望に襲われたりする。しかし、そんな絶望の中にあっても前を向いて立ち上がり、愛する者を救わんとする姿は人の心を打つものだろう。鬼も首を切り落とされない限り不死身であり、人間を遥かに凌駕する身体能力と変幻自在の術を使ったりする。鬼舞辻無惨に近づくほどその取り巻きの鬼(十二鬼月)は強敵であり、炭治郎よりも強い「柱」と言われる隊士も殺されてしまったりする。それでも逃げるわけにはいかない。

 仕事でも困難があったり、時に絶望的な気分になることがあったりするが、簡単に逃げるわけにもいかない。かと言って汚い手を使うのも心が痛む。常に堂々と困難を克服していければいいが、凡人にはなかなか難しい。そんなことを経験してきているからだろうか、単純な漫画なのに共感し心惹かれることは多い。テレビシリーズの後も原作漫画には続きがある。単なる鬼退治に邁進する物語ではなく、炭治郎はその優しさと志とによって周りの人たちに影響を与え、また与えられる。そんなところが世間のヒットとは別に個人的に気に入っているところである。

 まだまだ原作シリーズは半分もいっていないが、大人買いして一気に読むのではなく、少しずつ楽しみながら読んでいきたいと思う。漫画もバカにしたものではないと、改めて思うのである・・・



【今週の読書】
  





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