2020年10月1日木曜日

監視社会の是非

 TOKIOの元メンバーが、今度はバイクの飲酒運転で捕まった。それ自体、別に興味があるわけでもないのだが、その瞬間を捉えたドライブレコーダーの映像が公開されていたのはちょっと興味深い。また、ニュースでは付近の防犯カメラの映像も公開されていて、近頃はうっかり悪いこともできないと思う次第である。そう言えば、仕事でも警察から防犯カメラの映像提供の協力要請を何度か受けている。今や犯罪捜査には欠かせないのだろう。

 中国では、この防犯カメラ(監視カメラ)がいたるところに設置されているらしい。当然ながら、カメラの数が多ければ多いほど、映像のトレースは可能なわけで、現場から逃走したとしても、映像をたどっていけばいずれ捕まることは免れない。アメリカでボストンマラソンの爆弾テロの犯人を特定したのも監視カメラの映像であり、数が増えれば増えるほど、そして技術が上がり鮮明な画像が撮れるようになる程、悪いことはできなくなる。

 そういう来るべき「監視社会」はどうなんだろうと考えてみる。そう言えば、以前グアムに旅行した時、空港の入国審査で指紋を取られた。今後アメリカで何かやらかしたら、指紋照合で一発で身元を特定されるだろう。別に悪いことをしなければいいわけであるから、複雑に考える必要はないが、なんとなく怖いような気がする。日本は逆に外国人に対して入国審査で指紋を取るようなことをしているのだろうかと思うが、少なくとも国民に対してはしていない(やれば共産党あたりが騒ぐだろう)

 しかし、指紋や声紋など個人を特定できるデータをあらかじめ国が管理するというのはどうなんだろうか。映画『プラチナ・データ』では、全国民のDNAデータを国家が生まれた時から管理し、犯罪検挙率100%の社会、冤罪率0%の社会を描いていた。これはある意味理想的な社会であるかもしれない。なんとなく大丈夫だろうかという不安を感じなくもないが、犯罪を犯さなければいいわけで、不安になるという方がおかしいと理屈では言える。

国家が全国民のDNAデータを管理するというのは、犯罪捜査に限定して使う(身元不明死体などの身元確認にも使えるかもしれない)と言われてもなんとなく不安が残る。だがもし、実現したら犯罪は激減するように思う。あるいは偶発的な事件は防げなくとも、未解決事件はほとんどなくなるわけである。逃げても事件現場から隠れている場所まですべてトレースされるだろうし、指紋やDNAが残っていれば100%身元確認できる。

 「犯罪者が100%捕まる社会」となれば、衝動的な事件を除いては犯罪を起こそうという意欲をくじけさせるだろう。泥棒だって入るところから記録に残るわけである。事件だけでなく、当て逃げなんかもすぐ足がつくし、駐車違反だって後から御用である。悪いことができないという意味では、完全に逃れられない社会が実現するだろう。そういう社会は、果たして我々にとって望ましい社会なのだろうか。

 一種理想的な社会であるのは事実であると思うが、どうにも気持ちの悪さが残るのは、運用側に対する不安に他ならない。つまり、権力を握った者が恣意的に運用したら怖いということである。この民主社会においてそういう事態が起こるだろうかという疑問もあるが、それは起こってもおかしくはない。何より選挙の投票率が低ければ、ある特定の勢力が知らぬまま権力を手中にし、自らの都合に合わせて法律を変えていくということは十分あり得る。そうなると怖いことになる。

 しかし、悪い想像ばかりではなく、いい想像をしてみるとまた違う風景が見える。子どもが突然行方不明になったなんて場合も、即座に映像をトレースすれば行方を追跡できる。幼い頃生き別れになった親族もDNAデータを利用すれば一瞬で近親者を探し当てられる。当たり前のことであるが、要はなんであれ「ツール」である以上、それを使う者によっていいものにも悪いものにもなるということである。

 「監視社会」が住みやすい社会になるのか、窮屈な怖い世界になるのかは、運用者次第であるし、それを我々一人一人がしっかり監視するか否かにかかっているということになるのだろう。無関心こそが一番危険だと言えるのかもしれない。個人的には、そんな監視社会は悪くないと思うのである・・・




【本日の読書】
 



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