2020年9月6日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その3)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
〔 原文 〕
子貢問曰。賜也何如。子曰。女器也。曰。何器也。曰。瑚璉也。
〔 読み下し 〕
こういていわく、何如いかんいわく、なんじなり。いわく、なんぞや。いわく、れんなり。
【訳】
先師が人物評をやっておられると、子貢がたずねた。
「私はいかがでございましょう」
先師がこたえられた。――
「おまえは見事な器だね」
子貢がかさねてたずねた。――
「どんな器でございましょう」
先師がこたえられた。――
「瑚連(これん)だ」
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 ここで言う瑚連とは、最高級の器であるらしい。つまりは褒め言葉である。現代でも「器が大きい」とか「器が小さい」とかはよく言われる言葉である。ただ、よくよく考えてみると、これは男に向けて言う言葉であるように思う。女性に対して器が大きいとか小さいとかは言わないように思う。どちらかと言えば、器にたとえるならば女性の方が適しているようにも思えるのだが・・・

 それはともかくとして、「器が大きい」人物と言えば、身近なところではいつも尊敬している方が頭に思い浮かぶ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地でいくような方で、国家公務員のトップを務めた後、一流企業の役員を務め、80歳を越えた今も某企業の役員を努めている方である。穏やかで威張るところがなく、人の意見もきちんと聞かれる。勉強熱心で、話をお聞きするたびにいつも得るところが多い。

 一方、やはり民間企業の重役を務め、天下りで今も某企業の役員を務めている方は、対照的である。どこかいつも上から目線で話をされ、人の意見も一応は聞くが、スムーズに聞き流される。移動は運転手付きの社有車で、私がお会いしたのはプライベートの会合の場であったが、そういう時でも社有車でやってこられた。もちろん、仕事が終わったあとの時間帯であり、遅くなっても社有車で帰られていた。社会的に地位のある方を「器が小さい」という言葉を当てはめるのは適切ではないが、とても対照的なお二人である。

 普段何気なく使っている言葉でも、よくよく考えれば無意識に意識して使っているということはよくある。この「器」も考えてみれば、「年上の人」「女ではなく男」に対して使っている。それが日本語的に正しいのかどうかはわからないが、無意識に自分で使い分けていることに気づく。後輩に対してはあまり使わない。それはその言葉に適した人物がいないからかもしれないが、どちらかと言うと目上の人物に使うようなイメージである。

 これまでも多くの上司に仕えてきたが、「器の大小」という観点からみると、やっぱり「大きい」「小さい」はある。最初の上司はとても仕事ができる人であったが、自分にも部下にも厳しく、よくみんな怒られていた。ある時は主任さんが怒られて半日立たされていたことがあったが、それは上司の席の隣でかつ新人の私の席との間であり、私もその間気が気でなかった。ネチネチと怒る怒り方からは、とても「器が大きい」という言葉は出てこない。

 また、別の上司は、常に判断根拠に「部長がどう考えるか」がある方で、自分の意見もそれによって決まっていた。「自分ならどう考える」というよりも、「部長がどう考えるか」を重要視するそのスタイルは、今で言えば「忖度マン」だったわけであり、部長から見れば「愛いやつ」だったのかもしれないが、部下からすれば誠に頼りにならない方であった。今から考えると、あまり自分の意見に自信がなかったのかもしれない。上司だから正解を出さなければいけないが、自分では分からない。だから一生懸命忖度していたのかもしれない。

 一方で、いつもしっかり話を聞いてくれた上司とは、今でも年賀状のやり取りをしているし、たまにみんなで集まったりする。話を聞いてくれるから意見も言いやすい。そして思うとおりに意見を言えば、それに対して回答してくれる。「そうか、そういう風に考えるのか」という気づきも得られたし、意に反する指示であっても、その上司が良かれと思うならと素直に従えた。「懐が深い」とも言えたが、いい上司だったと思う。

 そういう経験をしてきたからだろうか、今となっては自分なりの「上司スタイル」というのを確立しているように思う。部下の意見はきちんと聞くし、何か言いたそうであれば、納得いくまで話してもらう。異なる意見を返す時は、「なぜそう考えて指示を出すか」をきちんと説明する。できない時は、できない理由とともに説明するし、こちらが説明不足だったり、ミスした時は素直に謝る。考えて見れば、自分が反発してきた上司を参考にすればいいのだから簡単である。

 自分を客観的に見るのは難しく、自分が果たして器の大きな人間なのか小さな人間なのかはわかりにくい。ただ、反面教師がいた分は、小さくはないのではないかと思える。そう考えれば、器の小さく思えた上司もありがい存在だったと言える。最高級の器でなくてもいいから、ある程度の器でありたいとは思う。これからもそんな意識を持っていたいと思うのである・・・

Terri CnuddeによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
 




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