2019年11月21日木曜日

今朝の思考

人間はいつもいろいろなことを考えているとよく思う。今朝もそんなことを実感した。いつもは朝からあれこれと考えなくてもいいように、同じ時間に家を出て、同じ電車に乗り、同じ時間に会社に着くようにしている。なんでも哲学者のカントも毎日決まった時間に決まったコースの散歩を欠かさず、時に周囲の人はそれを時計代わりにしていたという。大哲学者と同じというつもりはないが、ルーティーンワークは考えなくてもこなせるという利点があり、私も通勤に関しては何も考えずに機械的に移動し、思考はその分読書に集中している。

しかし、今朝は人身事故があって読書に集中できなくなってしまった。最寄駅からターミナル駅までどう行くか。そこから先どうするかを突然考えなければならなくなったのである。そんな時、助かるのは鉄道会社のしっかりとした案内である。今朝は復旧時間がすぐ迫っていたのでそれを参考にした。振替輸送の手続きもJRと連動出来ていて、定期券を機械にタッチするのは乗換駅ではなく、降りる駅でするようにとスムーズに開札を通らせていた。一部手抜かりはあったが、まぁ今朝は合格点だと思う。

鉄道会社もこれだけ人身事故が多いのだからもう少しスムーズにできないものだろうかといつも感じている。何よりとにかく早目の情報提供。その場に着いて人だかりの改札付近で情報を求めてうろうろするのは最悪である。付近の鉄道各社で電車の中から早めに放送して案内してほしいものである。復旧の見通し、振替輸送の案内、今朝みたいにJRと私鉄の枠を超えた連携など、素人目から見ても工夫の余地は大いにある。それにそもそも人身事故を防ぐ工夫である。

最近は、ホームドアの設置が進んでいるが、これは偶然の「事故」には効果的だと思うが、自殺は防げないと思う。自殺を防ぐ一番の方法は、家族に多額の賠償金を請求すると声高らかに宣言することだと思う。天涯孤独の人には効果がないかもしれないが、大抵の人は家族には迷惑を掛けたくないと思っているだろうし、せめて保険金を残したいと思っている人には効果的だろう。もちろん自殺そのものは防げないが、少なくとも電車への「飛び込み」は防げる。それで人身事故が減れば利用者としてはありがたい。鉄道会社の人たちだって嫌な思いをしなくて済むだろう。

こんな事を書くと不謹慎に思われるかもしれないが、私は自殺を否定しない。死にたい人は死ねばいいと思っている。その人の人生だし、その人の苦悩を知らない周りがとやかく正議論を振りかざすべきではない。もっともそれが家族や親せきや友人だったら思いとどまるように説得はするだろう。世の中、考え方1つで見方も変わるものである。それで考え方が変わって生きる方向で考えられるなら、そういう手助けは積極的にしたいと思う。だが、どこの誰とも知らない人ならそこまでする義務はない。せめて人に迷惑をかけないような方法を考えてほしいだけである。
 
 1つのアイディアとしては、国として自殺希望者に場所を提供したらどうだろうかと思う。希望者はそこへ行って申し込みをする。するとまず専門のカウンセラーが出てきて事情を聞く。その上で、生きていた場合のメリットを説き、まずは生きて問題を解決する方法を一緒に考える。23回通ってそれでもやむなしと判断したら「安楽死」を提供する。不治の病で回復の望みはなく、医療技術でただ生かされているだけのような人には朗報だろう(自分もその立場になったら利用したい)。いじめや借金問題程度なら解決策が十分提案できそうである。

 単に「自殺はよくない」と正義を振りかざすのは無責任である。中には自分のためではなく、自分が死んだ方が家族は幸せになれるのではないかということも実際にある。それを赤の他人が無責任に「生きていればいいことがありますよ」なんて言うことはできない。ならば周りの人に迷惑をかけず、スムーズに望みを叶える仕組みがあった方が、「三方良し」ということもある。いいアイデアだと思うが、実現は憲法改正より難しいだろうと思う。

 朝のひと時、人身事故で読書に集中できなくて、あれこれそんなことを考えたのである・・・




【本日の読書】
 



 

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