2018年4月11日水曜日

相手の立場に立って考えるということ

先日の事、職場にかかってきた電話を受けた(銀行員時代の習慣で電話は今でも真っ先に取っているのである)のであるが、聞こえてきたのは録音された音声。どうやらセールスのようであった。瞬間的にカチンときて切ってしまったが、実はこの手の機械音声の電話は時折かかってくる。セールスだけではなく、アンケートのようなものもあったと記憶している。そこでふと思った。「きちんと聞く人っているのだろうか」と。

職場には様々なセールスの電話がかかってくる。大概は営業担当の人が架けてくるのだと思うが、それなりに丁寧である。中には詐欺まがいのものがあって、最近は怪しいなと思う勘も鋭くなってきて、社名を聞き直すとすぐに切られたりするが、そういうのは例外的である。セールスの電話がすべて煩わしいかというと、それはそうでもなく、実はその中から今はお付き合いに発展している先もあるから、こういうセールスも効果があると思う。

ただ、それはあくまでも人間の場合である。機械だと瞬間的に切ってしまうからセールスも何もない。人間であればとりあえず話を聞こうと思うが、機械だと不快な気分になってその場で切ってしまう。人それぞれだとは思うが、大抵の人は同じではないかと思うのである。何より「失礼だろう」という感情が先走ってしまう。ホリエモンなどは、そもそも「電話は自分の時間を奪うもの」として一切電話には出ないそうである(『多動力』)。それは極端だとしても、機械に相手をさせるのはいかがなものかと思わざるを得ない。

機械に相手をさせると言えば、最近はどこも自動音声案内を導入している。これも腹立たしいが、こちらから架けているという弱みもあって甘んじている。しかし、自分の都合で人に電話をかけるのに手間暇を惜しんで機械にランダムでやらせるという神経が知れない。そういう音声セールスを実施している企業が、「人手がいらないですよ」なんてセールストークで売り込んでいるのかもしれない。だが、「それは便利だ」と導入する方もする方だろう。

そういう音声セールスを導入する企業は、ただ便利(営業マンにやらせればコストが高い)ということをのみ考えていて、「その電話を受ける人の気持ち」を考えていない。これは何より最大の欠点であろう。営業マンでも昼休みに訪問するなど「相手の事を考えてないなぁ」と思える人がいるが、これも同じだと思う。たとえ頑張って最後まで音声セールスの内容を聞いたとしても、そういう根本的なところで信用できない企業のサービスを使いたいとは思わない。

仕事で効率を求めるのは当然のことである。よく日本の企業は生産性が低いと言われるが、そんな中にあっては、営業もよけい効率化していく必要があることは理解できる。ただ、それが「機械音声」でないことは確かではないだろうか。営業は、自分たちの製品なりサービスなりを売り込んでいくことであるが、そもそもであるがどんなにいい製品だろうがいいサービスであろうが、「信頼のおけないセールスマンから買いたいと思うか」である。胸に手を当ててそう問うてみれば答えは出ると思うのだが、案外効率化という考えに入り込んでしまうと大事なことが見えなくなってしまうものなのかもしれない。

それにしても、今にして思えばきちんと最後まで聞けば良かったと反省している。もちろん、そんなサービスは利用するつもりは毛頭ないが、どんな内容なのか、どういう会社のどんなサービスなのか、聞いてみれば何らかのヒントが得られるかもしれないという気がするのである。仕事中に無駄な時間を過ごすことになるかもしれないが、そういうヒントがつかめれば無駄にはならないというもの。そう思うと、逆に「早く架かってこないかな」と楽しみに思ったりするのである・・・






【本日の読書】
 
    
 

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