2018年4月9日月曜日

憲法第9条はやっぱり改正すべきなのだろうか?


安倍総理就任以来、憲法第9条改正の動きが濃くなってきている。個人的には憲法改正論者だし、その動きは歓迎である。世の中も以前から比べると「改正すべし」という意見が増えているようである。基本的に憲法は国の一番大元の法律であるわけであるから、義務教育を終えた人が読んで理解できる内容であるべきだと思うし、「解釈改憲」などという動きはむしろ危険だと思う。自衛隊は我が国にとって必要である以上、憲法は改正すべきなのである。

そんな憲法改正に反対する人たちは、どうも反論の根拠に乏しく、感情論だけで反対しているだけに思える。改正した途端、戦争が始まるかのような勢いで、どうもいただけない。説得力のある冷静な議論はこれまで聞こえてこない。結局のところ、反対の根拠は「何となく嫌だ」という感情にしか過ぎないと思っている。もちろん、そうした「感情反対論」に与することはできない。

ただ、一方で「改正しても大丈夫だろうか」という思いは私自身の気持ちの中にある。それはやっぱり「アメリカに対する不信感」であろう。アメリカは何と言っても自国益最優先のわがまま超大国である。今でもそうなのに、改正した途端、自衛隊をいいように利用されるのではないかという心配は大いにある。特に反対論者も多いに声を上げている「アメリカの戦争に巻き込まれる」という懸念である。

第二次大戦後の大きな国際紛争・戦争はいくつもあるが、特徴的なのはアメリカ単独のものがほとんどないことだろう(アメリカ合衆国が関与した戦争一覧)。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ボスニアヘルツェゴビナ・コソボ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争等々である。このうち正当化できる(我が国が参加してもよかった)のは湾岸戦争くらいではないかと思っている。みんなアメリカが主導して参加を促したと思うし、我が国も憲法第9条がなければ間違いなく参加させられていたと思うからである。

9条はアメリカが押し付けてきたものであるし、その後都合が悪くなったものの、我が国の国民がしっかりと受け入れて頑なに守ってきたため、アメリカも変えさせられないでいるという見方もできる。「押し付け憲法」だから改正すべきという意見もあるが(私は押し付けであろうが何だろうがいいものはいいと考える方である)、「自分が押し付けたから文句が言えない」という見方もある。そう考えれば、「第9条が我が国を(アメリカから)守ってきた」というのは真実かもしれない。

「平和憲法を守ってさえいれば平和でいられる」というのは、根拠のない空想である。「カエルの楽園」で批判されていた通りだと思う。だが、実は違った意味で「アメリカの国益」から守られてきたのかもしれないと言えるのではないかと思う。アメリカは自国の利益のために他国に武力介入してきている。しかし、世界一の大国とは言えそこには「大義名分」が必要であり、より多くの国の支持(参戦)を錦の御旗としているのかもしれない。我が国が単独でそんなアメリカの国益紛争介入に「No!」と言えれば問題ないが、どうも怪しい現状を見れば「盾」が必要な気もする。

本当は我が国は米中露等距離外交が一番望ましいと思う。日米同盟がなければロシアも安心して北方領土を返してくれるかもしれないし、経済協力関係も進展するだろう。だが、それには何より中国の協力が必要だし、今の現状を見ているとそれもはかない理想に思えてならない。アメリカの傘の下にいなければならない以上、アメリカから身を守る「盾」も持っていた方がいいのかもしれない。「盾」がなくなった途端、「みかじめ料」に加えて「勤労奉仕」までさせられることになったら大変である。

今まで「平和憲法」というのは、改憲反対派の人たちの「日本の日本による日本のための」平和憲法という気がしてならなかったが、「アメリカから身を守る」平和憲法という見方もかなり真実だと思う。トランプ大統領を見るまでもなく、映画『スノーデン』でも描かれていたが、アメリカを心から信用するのはやっぱり危険だと思う。

改憲すべきだが、「周りをよく見回すことも必要」である。ここは無邪気な憲法改正反対派の方が、結果的に我が国にとっていいのかもしれないという気がしてならないのである・・・





【今週の読書】
 
    

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