2017年10月22日日曜日

人口減少社会

 少子高齢化が進み、これから本格的に「人口減少社会」となる我が国。先日、『未来の年表-人口減少日本でこれから起きること-』という本を読んで一層その深刻さを理解したところであるが、先週取引先との雑談の中でこの話をしてきた人が2人もいて、みんな同じ本を読んでいるのだろうか、それともそれ以外のところで情報を得ているのだろうかと思いを巡らせてみた。

ある人は、これから日本も人口減少社会となるから、不動産マーケットはダメなのではないかという意見を述べてくれた。確かに、パイは縮小することになるのでこれまでと同じようにはいかないだろう。だが、では人口減少の影響を受けない他の事業に転換できるかというと、そんな業種はあるのだろうかと思う。トヨタだって(国内では)人口減少の影響は避けられないのである。

個人的には、我が不動産業界のそんな行く末を案じたりはしていない。不動産マーケットは縮小することこそあれどなくなることはない。要は縮小するマーケットでどう生き残って行けばいいのかを考えるだけである。のほほんとしていたら淘汰されるだろうから、熱意と創意工夫とで乗り切って行くしかないのである。

実は改めて本を読むまでもなく、身近なところでこの問題は感じていたと言える。父の生まれた生家は、祖父もとうに亡くなり、今は長男の伯父があとを継いでいる。私と同年齢の一人息子(つまりは私の従兄弟)がその次に控えているが、その従兄弟には子供がいない。一人っ子ゆえに伯父の家系、ひいては父の本家筋は従兄弟で絶えることになる。家屋敷は相続人もないことから国庫行きだし、墓は管理する者がいなくなることになる。

母方の本家も墓を継いだのは、本家の次男の伯父。その伯父は既に亡く2人の子供(私の従兄弟だ)はともに独身。もう50代となっているし、伯父の家もそこで絶えることになる。望月にある母方の祖父が自慢していた墓も守り手がいなくなることになる。それでいいのかと思うも今の時代「養子縁組」でもないだろうし、致し方ない。そう考えると、「家制度」が確立していた昔のシステムは、「継承」という観点からは優れていたと思う。

ただ、そういうことは何も我が一族に限った問題ではなく、日本全国いたるところに出てくる話だということである。従兄弟も独身貴族をいいことに、マンションを買って一人暮らしを楽しんでいるが、いずれそのマンションも相続人がいなくなって国庫行きとなるのだろう。たぶん、国庫もそういう資産がこれから増えて行くのだろう。ひょっとしたら、今国家財政を圧迫している国債残高も、それでだいぶ「チャラ」になるような気もする。

不動産マーケットは縮小して行くといっても、業者の中には、経営者が高齢化して後継者がいなくて廃業となるところも増えるだろうから、小さくなったパイを分捕り合うライバルも減ってさほど競争密度は変わらないかもしれない。土地が余れば、ウサギ小屋とバカにされたわが国でも庭付き一戸建てが普通になるかもしれない。あまり悪い面ばかり考えるのもいかがかと思う。

墓の問題も簡単に自分が引き受ければ済むという問題ではない。妻の実家の方もあるわけであり、しかも妻の妹には子供がいないため、事実上妻の実家を受け継ぐのは我が子供たちである。そうすると、我が子供達は理論的には4家の資産と墓とを受け継ぐことになる。資産といっても大したものは期待できないから、受け継いで嬉しいかどうかは微妙だ。

仮にすべて受け継いだとしても、我が子供たちが将来結婚できるか、そして結婚できたとして子供が生まれるかどうかもわからない。私も孫を持てるかどうかわからないわけで、持てなければ何れにせよ、4家もそこまでということになる。日本全国あちこちで多くの家系が絶えて行くのだろう。

自分が生きることのない未来の心配は子供達に任せるとして、せめて自分としては自分が90歳なり100歳なりまでの範囲での未来については考えていきたいと思う。と言ってもせいぜいが痴呆の要介護にならないようにしたいという程度である。そうならないようにできるのか、あるいはそうなっても迷惑をかけない程度に財産を残すのか。どうやら定年後はのんびり趣味になんて夢のまた夢ということになりそうである。

それもまたいいかもしれないと思う一方、残りの人生を楽しくだけは生きたいと思うのである・・・





【今週の読書】
 
     

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