2017年10月11日水曜日

論語雑感 為政第二(その11)

子曰。温故而知新。可以爲師矣。
()(いわ)く、(ふる)きを(たず)ねて(あたら)しきを()れば、(もっ)()()()し。

【訳】
先師がいわれた。古いものを愛護しつつ新しい知識を求める人であれば、人を導く資格がある
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論語の中でも、これは有名な言葉の一つである。「温故知新」という四字熟語として一般的にも広く知れ渡っていて、出典が論語だと知らない人もいるくらいだと思う。なぜそれほど広まったのかというと、やはりそれだけ真理を表しているからなのだと思う。上記の訳とは別に、「温故知新」は「昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること」と説明されている。(故事ことわざ辞典

論語など2,500年も前でもやっぱり「昔のことを良く学び」なんて言われていたのかと思う。そう言えば、エジプトでも出土した王朝時代の粘土板に「今の若者は」と嘆く様子が書かれていたという話を思い出したが、時代を経ても真理は変わらないものなのだろうと改めて思う。きっと、1,000年後も「温故知新」という言葉は残っているのかもしれない。

個人的に「温故知新」と聞くと、『コブラの著者である寺沢武一の「SFとは新しい瓶に入れた古いぶどう酒である」という言葉を思い出す。『コブラは、未来の宇宙を舞台にした物語だが、中身は海賊であるコブラが、悪の海賊組織ギルドと戦いを繰り広げるもので、SFというフィルターを外せばそこにあるのはかつての西部劇と同じである。あるいは映画『スター・ウォーズ』 も同様であるが、が変わっても中身は同じということである。

これは一般的に「本質」というものが大事だということに他ならないと思う。私は常に「本質は何か」を意識するようにしているが、SFだろうが西部劇だろうが、「悪の組織がはびこる中で、流れ者のアウトローが悪を倒す」という本質の部分は同じであるわけである。逆に言えば、本質部分を押さえておけば、西部劇でも現代劇でもSFでも応用が効くということになる。

例えば、私はずっとスケジュール管理に手帳を使ってきたが、近年はスマホとPCを併用している。Googleカレンダーを共有にしておけば、会社のPCでも自宅のPCでもスマホでも同じスケジュール表(Googleカレンダー)を見ることができる。それはそれで大変便利なので重宝しているが、大事なのは「スケジュール管理がきちんとできるか」であり、それができるのであれば、スマホでなくても手帳でも手のひらに書いても良いわけである。なんでもスマホではなく、その「本質は何か」を考え、最適なものを選ぶことが重要なわけである。

逆に「やることリスト」は、手帳を使っている。iPhoneであれば「メモ機能」を使えばPCでも家のMacでも共有できるが、そうしないのは「手帳の方が便利だから」に他ならない。大事な本質部分は、「やるべきことを忘れずにやること」であり、そのために最適な手段が私にとっては手帳なのである。入力より書く方が早いし、繰越具合なんかもわかるし、同僚と共有する必要もないので、いまだに手帳を使っているのである。

本質を外した議論がとんちんかんなものになることは、日常よくあることである(【本質を見失うと・・・】)。「古きを温めて」とは、単に新しいから良し、古いからダメということではなく、古いものでも変わらぬ本質を見極め新しい事態に対応するということに他ならない。その本質は「本質を見極める」というところにあると思うのである。

今は、不動産業界という古い産業に身を置いているが、いずれ確実にやって来る人口減少社会を前にし、これからどうやって会社の舵取りをしていくか、は非常に大事なことである。それは単に「今までそうしてきたから」なんてことをやっていたら、たちまち淘汰されてしまうだろう。過去からの流れも大事であるが、何をするべきかの本質を見失わず、古くからの知見をいかに「新しい瓶に移していくか」が重要だろう。

誰も成功を保証してくれないが、そこは己と未来を信じてやっていくしかない。AirbnbUberなど、古いものと新しいものとを組み合わせたサービスが世の中には台頭してきている。そんな世の中で我が社も生き残っていかねばならず、そのためのアイデア、創意工夫は欠かせない。「古いぶどう酒」を大事にしつつ、「新しい瓶」を探す努力を怠らないようにしたいと思うのである・・・







【本日の読書】
 
   


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