2017年10月26日木曜日

論語雑感 為政第二(その12)

 子曰。君子不器。
()(いわ)く、君子(くんし)()ならず。
【訳】
先師がいわれた。君子は機械的な人間であってはならぬ
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 これも「君子は器ならず」として、論語の中では比較的知られている言葉だと思う。考えてみると、その意味はわかっているようでわかっていない。改めて調べてみると、
『器物は各自一つの用に適するだけだが、君子は一芸にすぐれるばかりでなく、どんな用にも融通が利く』(広辞苑)
というような説明があった。上記の訳よりもこちらの方がしっくりくる。

 また、別のところを調べてみると、
『茶わんも器であり、どびんも器である。とはいえ、茶わんは茶わんの働きしかなく、どびんはどびんの機能しかもたない。立派な人たるには、そのように、器であってはならない。かたよらず、全人的完成をめざすべきだ。』(『中国古典名言辞典』・講談社学術文庫)
というのもあった。どちらも当然ながら同じような意味であるが、上記の訳よりはわかりやすい。
 
 自分なりに咀嚼してみると、私自身が日頃心掛けている「臨機応変」に相通じているように思う。私の意識している「臨機応変」は、例えば「札幌に行く」という目的があったとして、羽田まで行ったら搭乗予定の便が悪天候で運休となってしまったという時に、「では新幹線で行こう」とか、新幹線もダメなら「レンタカーを借りよう」とか、時間がかかってもいいなら「フェリーで行こう」とかして目的を達することである。そういう「臨機応変」が、「器ならず」に当たるように思うがどうだろうか。
 
 また、「一つのことにかたよることなく、幅広くその能力を発揮するべき」と言っても、普通の人はオールマイティというわけにもいくまい。私自身も当然そうである。ただ、それが個人の能力だけを問われる個人プレーならともかく、組織で仕事をする場合は「衆知を結集する」ということができる。自分に足りない能力はできる人に補ってもらえばよい。その時には、いろいろな人がいる中で、柔軟に適する人を受け入れて連携プレーができればいいように思う。

 今の会社に来た時も、少ないメンバーでどうしようかと考えた。営業をやるにも自分ひとりだけでは足りない。そこで社交的な女性を営業に連れ出したらうまくやってもらえるようになった。リフォームでデザインをする人がいなくて外注先をさがしていたが、ふと社内の別の女性にやらせてみたら、本人も好きなようでうまくやってくれるようになった。外注も不要となり、余分なコストをかけずに済んでいる。自分でやるばかりが能ではない。

 自分でもある程度「何でもやる」という心掛けは必要だと考えている。我が社は毎朝みんなで掃除をするのだが、私はあえてトイレ掃除など一番大変な掃除を引き受けている。管理している部屋のクリーニングにも積極的に参加している。偉そうにふんぞり返っていては言葉に説得力もないだろうと思うからである。さすがに技術を伴うことはできなないが、素人でもできることは何でもやるつもりでいる。

 スポーツでも仕事でも、チームを率いる立場となったら、この「やれることはなんでもやる」というスタンスは必要だと思う。誰かに指示してやってもらうのもいいが、もしもうまくできなかったり、緊急に具合が悪くなったりした時には代わりにやらないといけない。「誰かやれ」もいいけど、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」(山本五十六)
であるなら、「やってみせる」ことができないといけない。

 そう考えると、やはりこの論語の言葉は真理である。
「芯は固く、言葉や行動は柔軟に」
これからもそういうつもりで何事にもあたりたいと思うのである・・・







【本日の読書】

 
   
 

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