2014年1月10日金曜日

最後の日は

ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ
【AFP=時事】ベルギーで「最高齢アスリート」として親しまれてきたエミール・パウウェルス(Emiel Pauwels)さん(95)が安楽死を選択し、家族や友人約100人とシャンパンで乾杯をした後に旅立った。
     
-2014.1.9-
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 日本では認められていない安楽死のニュースである。
日頃考えていた事でもあって、興味を惹かれた。
安楽死については、賛否はあるだろうが、個人的には賛成である。
というか、もしも自分が将来この人のような立場になったら、やはり同じように選択したいとさえ考えている。生まれる時は、わけもわからず生まれてきたわけであるが、死ぬ時は自分で決めようと思えば決められる。それも幸せな事だと思う。

 そもそもであるが、自殺は良くないとされている。キリスト教も自殺を禁じている。
それにはまったくの同感だし、自分だったらやらないし、見知らぬ他人がしようとしていたら止めないだろうが、身内や知人だったら止めるだろうし、自分の場合はとくに、せっかく与えられた命だから最後まで全うしたいと思う。

 親になってから、よく子供たちの行く末を考える。
やがて学校を卒業し、社会人となって誰かと結婚し、子供を生み育て、いずれ老いて死んでいく。もちろん、自分は途中でこの世からいなくなるが、自分の子供が世をはかなんで自殺するなんて、そんなことは想像にすら耐えられない。それは同時に自分の親の気持ちでもあるだろうし、だからこそ元気に天寿を全うしたいと思う。

 ただ、冒頭のニュースの最高齢アスリートのような立場になったら、ちょっと違う。
病気で余命わずかとなったり、ボケて自分が誰かもわからなくなったりした時は、この限りではない。その時は、きちんと身辺整理をした上で、自分で自分の命日を決めるのも悪くはないと思う(もっともボケてたらできないが・・・)。

 日本で安楽死が認められないのは、「命は大事だ」という当たり前の理屈を盾にとって、そこに安住しているだけだと思う。
助からないとわかっているのに、最後まで苦しむだけ苦しませるというのはもの凄く残酷だ。
それは「命を大事に」している事にはならないと思う。
もちろん、苦しまずに最後まで穏やかでいられるならそれに越した事はないと思う。
要は、その「選択権」を持っていたいという事だ。

 私が敬愛して止まなかった祖父は、末期がんを宣告されたあと農薬を飲んだ。
1週間くらい入院して亡くなったが、「バカな事をした」とは思わない。
叔父たちは、告知した医者を批難していたが、逆に私はよくぞ告知してくれたと思う。
そして、それを受けて自らの人生に自分でピリオドを打とうとした祖父の気持ちを理解できるような気がする。恐らく祖父は、“絶望”ではなく“満足”から農薬を飲んだのだと思う。

 その時、既に祖母は亡くなっており、子供たちも独立して孫も社会人になったりして、後顧の憂いはなかったはず。ボケて徘徊して亡くなった祖母の世話をしていたから、自分は子供たちにそんな世話をかけたくないと思ったのかもしれない。
最後に見舞った病院のベッドで、私に軍隊で使っていた愛用の箸をくれると言い残してくれたが、そんな祖父を批難するとすれば、最後にゆっくり話をする時間をくれれば良かったのにという事だけだ。いつか自分も余命いくばくと宣告されたなら、祖父を見習いたいと思う。

 ただ、その時心配なのは、“手段”が確保できるかという事だ。
ベルギーのように医者が注射してくれれば楽でいいが、今のような安易な「命は大事論」がまかり通っていたら、そうもいかない。私の気持ちを組んで“協力”してくれた人が、「自殺ほう助」で罪に問われても困る。人生の最後に飲むのが農薬というのも哀しい。

 今からそんな事を心配しても仕方がない。
もう人生は半分を過ぎただろうし、祖父の年齢まで生きるとして、あと40年。
「その時」が来た時に、何の憂いも残さないように、毎日を大切に過ごしたいと思うのである・・・

自分の残り時間がわかるサイト
This Much Longer  
これによると、祖父の年齢まであと14,386日・・・

【今週の読書】
 

    

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