2011年7月23日土曜日

将棋

ちょっと前に羽生名人の「大局観」を読んだ。
それに影響されてか、何だか無性に将棋を指したくなった。
と言っても周りに相手をしてくれる人はいない。
ところが今は便利な時代。
ネットで検索して、一人でもできる将棋サイトを見つけた。
以来、暇があるとちょこまかとやっている。

私が将棋を始めたのは、小学校に入ってからだと思う。
父に教えられて始めたような記憶がある。
ところがそのうち父を打ちまかすようになった。
より強い相手としては、母方の祖父と叔父がいた。
二人ともかなり強く、特に祖父などは村で評判の腕前だったらしく、飛車角落としでもなかなか勝てなかった記憶がある。

やがて友達とも指すようになったが、相手になるような友人はいなかった。
小学校4年生の時には将棋クラブに入ったが、そこでも同様だった。
当時の友人Oは負けず嫌いの性格で、「将棋世界」という雑誌を購読し、一人黙々と腕を磨いていたが、いつも挑戦をはねのけていた。
やがて友人Oは初段を取った(今から思えばどういう権威の初段かはわからない)と自慢してきたが、そんな彼にはたった一度引き分けただけですべて勝っている。
という事は、当時の私には初段以上の力があったと言う事だ。

中学になり、生涯で真に天才と呼べるSと知り合った。
後に東大へ進学したのはむしろ当然だったSは、人が1時間かけて覚える事を10分で覚えてしまう、まさにこれぞ天才という見本のような天才だった。
今でも覚えているが、Sの家で将棋盤を見つけ、さっそく対局を申し入れた。
自信満々だった私は、あっさりと負けた。
信じられなくて、「もう一度」と繰り返すたびに敗れ、7連敗した。
当時、かなりの衝撃を受けた事件だった。

その後、高校生になってからはさすがに誰かと将棋を指す事もなくなった。
そしていつのまにか随分と月日が経ってしまったものである。
今小学生の娘に将棋クラブなんて学校にあるのかと聞いても、ないと答えが帰ってくる。
今の子供たちはさしずめゲームなのだろう。

将棋は知的な戦略ゲームだ。
それぞれ動きの決まったコマを駆使し、盤面と相手の持ち駒から相手の戦術を読み、自分の持ち駒を見ながら自分の戦術を考える。
プロの棋士のように何十手と読む事はできないが、23手先を読んで次の一手を決める。
時々「待った」と言いたくなるが、パソコンではそんな情けはかけてくれない。
頭のトレーニングにはもってこいだ。

現代のゲームはゲームなりに、と思わなくもないが、バトルモノやレースやマリオなんかはいくらやっても、それで何かが磨かれるという感覚はしない。
ゲームも随分と進歩しているが、昔のゲームにはまだまだ及ばない気がする。
今はまだ低いレベルで“リハビリ”をしているが、徐々に相手のランクを上げていこうと思っている。

かつては縁台でうちわ片手にというイメージがあったが、今はデスクでディスプレイを睨んでという事になるのだろうか。
スタイルは変わっても中味は変わらない。
いずれ子供たちにも手ほどきをしようか、などとも思う。
せっかく受け継いだ古き良きゲームを、そのまま埋もれさせてしまうのももったいない。
今度実家に行った時に、どこかにあるはずの駒と将棋盤を捜してみようかと思うのである・・・

【本日の読書】
お休み

       

0 件のコメント:

コメントを投稿