2009年2月6日金曜日

おでん

我が家は東西食物文化の交差点である。
「食は関西にあり」とはよく言われるが、それは確かである。
お好み焼きやたこ焼きばかりでなく、関西に行けばおいしいところにおいしいものは至るところにある。しかし全部が全部、というわけでもない。

結婚前だが、妻に大阪の老舗のおでん屋に連れて行かれた事がある。
カウンターがぐるりと囲む真ん中でおでんがぐつぐつと煮えていて、入った瞬間に食欲をくすぐられる店であった。席についてさっそくオーダー。
いの一番に注文するのはやっぱり「ちくわぶ」。
ところが、目を凝らせども姿が見えない。
値札にもない。不思議に思って妻に尋ねたところ、「ちくわぶ?竹輪の事?」ととんちんかんな回答。あれこれとやり取りをして初めて知った。

「関西のおでんにはちくわぶがない」

この衝撃度は東京育ちのおでん好きであれば理解していただけるであろう。
ちくわぶの入っていないおでんなんて想像できるだろうか?
「おでんと言えばちくわぶ」、「ちくわぶと言えばおでん」。
おでんの主役はちくわぶであり、その他の具はちくわぶの引き立て役でしかないと言っても過言ではあるまい。ジェームズ・ボンドの出ていない007映画を誰が観たいと思うであろう。
それがないのである!
その店のおでんの味も何を食べたかももう忘れてしまったが、ちくわぶがないという事実だけが今も強烈な思い出として脳内皮質に焼きついている。

結婚してからはもちろん、おでんの時にはちくわぶは欠かさないようにしてもらっている。
そのおいしさを教えてあげようと思ったが、一口食べて「こんなのどこがおいしいの」と来た。
星一徹ならちゃぶ台をひっくり返すところだ。

あきれ果てたが悪い事でもないと気がついた。
なぜなら妻がちくわぶを食べないがために、我が家ではちくわぶは私が独占できるからだ。
子供たちも母親へ右へならえで食べようとしない。
だから翌日に残ったおでんを食べる時だって、竹輪やはんぺんは跡形もないが、ちくわぶはしっかりと私を待っていてくれる。これは幸せだ。

とはいえ、最近ちょっと悩みがでてきた。
妻はともかく子供たちだ。
東京に生まれたのにこのままちくわぶのおいしさを知らずに育っていいものだろうか、と。
ちくわぶの味を伝えるのは東京人の私の務めではないか、と・・・

良いはずがあるわけもなく、「教育」することにした。
とはいえ、無理に「食べろ」と言ってもそこは逆効果。
自らおいしそうに食べる姿を見せるしかない。
それこそが、親父が態度で語るものだろう。
というわけで、我が家で夕食におでんが出る時は、なるべくおいしそうに食べるように(もちろん本当においしいのだが)しようと思うのである・・・

    

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