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スウェーデンの精神科医による『人はなぜ自分を殺すのか』を読んだ。タイトルの通り自殺に関する内容である。この本は自殺について様々な角度から考察を重ねたものであり、個人的にも自殺については必ずしも否定的には考えていないこともあって、なかなか考えさせられるものであった。目についた1つにスイスでは自殺ほう助団体があり、デンマークやベルギーでは安楽死が合法化されているというところ。日本人の感覚ではついていくのが難しいところかもしれないが、我が国でもそうなるといいと思っている。
著者によれば、自殺を防ぐ方法として自殺の名所などで自殺しにくくする(橋では柵を設けたりする)「設計による予防」が効果的だと紹介している。専門家の言うことに異論を唱えるのもおこがましいが、自殺しようとする人は「あれがだめならこれ」と考えるだろうから本当の意味で(その他の手段を含めて)自殺を防ぐ事にはならないのではないかと思えてならない。ただ、自殺の名所で自殺しようと思ってその場に行ったが柵があってできず、どうしようかと迷っているうちに諦めるということはあるかもしれない。
それにしても自殺をしようという人はなぜそういう考えに至ったのであろうか。生きていくのに耐えられないほど嫌なことがあったのだろうか。それとも生きていても将来に何も希望が持てないという絶望なのであろうか。私はこれまで自ら命を絶つなど考えたこともないが、自分が生きているより家族が幸せになれるとしたら、それも1つの選択肢かもしれないと考えたことはある。いずれにしても自殺をしようという人はその人なりに考えて導き出した答えなのだろう。それならそれで他人がとやかく言えるものではないと基本的には思う。
その時にどういう手段を選ぶのか。自分だったらどうするかと考えると考えてしまう。電車に飛び込むのも飛び降りるのも躊躇してしまう。即死ならいいが、苦しむのは嫌だし。致死量の薬物と言っても簡単には手に入らないし、市販の劇物を飲んで苦しむのも嫌だし。何かいい方法がないかと考えてネットの情報を探しているうちに、同じことを考えている仲間を見つけ、一緒に死にましょうとなったのが、上記のニュースなのかもしれない。そうした人たちに「手段」を提供できたらいいなと個人的には思う。→『自殺の法制化はできないものだろうか』
その時、無条件に与えるのではなく、カウンセリングを義務付ければ、もしかしたら思い直すことにつながるかもしれない。特にニュースで取り上げられていた「10代後半の女性」などは特にそうである。まだ知識も経験も少ない10代で狭い視野の中で自殺を選択するのはあまりに視野狭窄過ぎると思う。もしも、本人をまったく知らない第三者の専門家がカウンセリングしていたら、他の選択肢も提供できたかもしれない。場合によっては知らない土地で生活を再スタートするような支援を提供できれば自殺を防げたかもしれない。
『人はなぜ自分を殺すのか』は自殺を否定するのではなく、肯定した上で防げるものはどう防げるかを考えたものである。実に建設的だと思う。すべての自殺志願を防ぐことはできないとした上で、防げないものには適切な手段を提供し、防げるものは防ぐというのは、この問題を考える上でのかなり有効な手段であると思う。それを「自殺に手を貸すなんて」と考えて否定してしまうと、もしかしたら防げるものまで見過ごすことになる。それは決してヒューマニズムなどではないと思う。
私の祖父は89歳で癌になり、余命宣告を受けて農薬を飲んだ。もう十分生きたからいいと考えたのか、入院などで迷惑をかけたくないと思ったのかはわからないが、1週間入院して息を引き取った。もし、安楽死が認められていたら、もっと楽に死ねただろう。カウンセラーから家族と最後に話をしろと言われれば、親戚一同集まって盛大に祖父の好きな酒盛りをして見送ったかもしれない。どちらの死に方がいいかと問われれば答えるまでもない。どちらが人間味があり、人間の命を尊重しているかという事も明らかである。
ヨーロッパの「先進国」はそういう議論が国民の間でできて結論が出ているという事で、うらやましい限りである。どんなタブーであっても議論に載せることを厭わずというスタンスは必要であると思う。まずは拒絶ではなく、相手の話を聞いて判断する。そういうスタンスは維持したいと思うのである・・・
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| Gerd AltmannによるPixabayからの画像 |




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