2025年12月7日日曜日

ワークライフバランスについて思う

 先日、若手社員と話していて、ふと違和感を感じた。それはワークライフバランスについての捉え方である。そもそもであるが、「ワークライフバランス」とはとAIに聞いてみると、「仕事と、育児・介護・自己啓発・趣味・地域活動などの仕事以外の生活との間で、調和(バランス)が取れており、どちらも充実している状態を指す」のだという。それについてはその通りだと思うし異論はない。話をした若手社員もそういう認識である。しかし、なんとなくモヤモヤした気持ちがあとに残ってしまう。

 よくよく考えてみてその答えがわかった。それは「ワーク」に対する考え方である。「ライフ」が重要なのは言うまでもない。人は生きるために働くのであって、働くために生きるのではない。しかし、働かなければ生きていけない。それゆえに生きるために一生懸命働くのである。そして一生懸命働いたがゆえに生きられるのであり、人生の楽しみを謳歌できるのである。まずは働く、そしてより良い人生を生きるのである。そこには明確な優先順位がある。

 私が社会人デビューした1988年は、ちょうどバブル経済に入っていたが、それ以前の高度成長期の名残りが働き方に残っていた。女を養っていくため男にとって何より大事なのは仕事。1に仕事、2に仕事、3も4も5も仕事。男は結婚して一人前。早く結婚して家庭のことは全て女房に任せ、男は家庭を振り返らずに仕事、仕事、仕事という風潮の名残りである。私が配属された八王子の支店は都心店とは違い、高卒の叩き上げの銀行員がそんな高度成長期の滅私奉公の精神で幅を利かせていた。

 私もその洗礼を受け、定時の5時になっても帰ることは許されず(都心店に配属になった同期はみんな定時に退行していた)、8時に先輩が帰るまで付き合い残業をさせられた。もちろん、仕事もできない新人に残業手当などつくわけがない。土日はしばしば支店行事に駆り出され、レク委員に任命されて店内旅行の幹事をやらされた。準備はもちろん週末の休みの日である。それも「仕事」だと言われた。反抗的だった私は、最後はキレて「仕事だと言うなら休日出勤手当は出るんでしょうね」と食ってかかった。出世できなかったのも頷ける。

 そんな時代を経験した私としては、もちろん、仕事のために生きているわけではない。しかし、まず仕事だろうという思いはある。仕事でしっかりと求められている成果を(できれば求められている以上に)上げないといけない。給料は「貰うもの」ではなく「稼ぐもの」である。そこに全力投球しているかは重要である。もちろん、高市総理のように午前3時に働けとか、土日も働けという意味ではない。9時から5時までで十分だが、休みの間も仕事のアイディアが閃くような意識を持っているかということである。

 ワークライフバランスとは、「1にワーク」「2にライフ」そして「3にバランス」ということである。お金を稼ぐということは、本来大変なことである。お客さんからそれだけのお金をいただく以上、それに見合った(あるいはそれ以上の)成果を返さないといけない。サラリーマンは黙っていても給料日には給料がもらえる。だからどうしても意識は薄く、気持ちは次の週末に向かっているのだろう。しかし、きちんとした成果がないと、百姓なら作物は取れず、漁師なら獲物を取れずに飢えるわけである。そういう認識がサラリーマンにも必要である。

 国民のために働くという意識の高市総理が夜中も働くのはそういう意識の表れであろう。真似しようとは思わないが、給料以上の成果を上げる意識は常に持っているし、成果も上げている。そのために必要なら徹夜もするだろう(しない努力はそれ以上にするが・・・)。成果も上げずにワークライフバランスなどという寝言を言うつもりはない。自分の稼ぐ給料にはそういう意識でいる。若手と話していて気づいた違和感の正体はそれであった。ワークライフバランスは大事だと思うが、その真の意味をしっかりと認識しておきたいと思うのである・・・


su mxによるPixabayからの画像


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