2023年3月9日木曜日

逆境に育て

 子供たちもいつの間にか大きくなった。娘は22歳、息子は17歳ともなればもう子供とは言えない。いずれ数年のうちに2人とも社会人である。娘は来年は就活、息子は大学受験。しかし、自分の就活時代(当時は就活などという言葉はなかった)や大学受験時と比較すると、どうにも2人とも何か物足りなく思えてしまう。男と女の違いはあるだろうから、娘の方はまだしも、息子の方はどうもなぁと感じる部分がある。もちろん、まだまだ半人前だから当たり前なのであるが、自分の高校時代と比べてもどこか物足りないような感じもする。

 と言っても、自分については人は誰でも甘く見がちであり、過剰に美化、脚色されるところがある。もしかしたらそんな色眼鏡で見てしまっているのかもしれない。息子を客観的に見れば高校は自分よりもランクの高い都立高校だし、ラグビーには見向きもせず野球に行ってしまったが、弱小都立高校の野球部とは言えキャプテンだし(私もキャプテンだったが・・・)1年の時から彼女はいるし(私よりも早い)、どう見ても父親を上回っているじゃないかと言われればその通りなのである。

 しかし、それでも物足りなさを感じるのは、男としての信念的なところであろうか。「これと決めたら誰がなんと言おうと貫き通す」的なところがまだ感じられない。どこかまだ「ママの言うことを聞く良い子」的なところがある。私はと言えば、早くから自立心だけは旺盛だったと思う。中学生の頃には塾に行けとうるさい母親の言葉を聞き流し、高校生の時にはもう親に小遣いをもらっていなかった。もちろん、大学は自分で決めたし、予備校へ行ったらなどと言う言葉はすべて無視して宅浪した。

 息子はその点従順で、塾にも行っているし、母親の勧めはよく聞いている。母親はもともと息子には甘いものだし、甘い母親の甘い子育てが男をダメにすると信じている私としては、ちょっと心配なところがある。我が息子にはもう少し厳しい環境が必要な気もする。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言葉があるが、たくましい大人に育っていくには、特に男の子には逆境が必要なように思う。

 我が父は子供時代は貧しく、教室のゴミ箱から裕福な家の友人が捨てた鉛筆を隠れて拾ってきて使ったそうである。進学など夢物語で、中卒で東京に出てきて働いた。私が自立心旺盛に育ったのは、そんな話を聞かされて育ったからではないかと思う。私自身、当たり前のように大学へ進学したが、大学では授業をサボるのが当たり前という風潮の中で、真面目に授業に出続けたのも、単なる「知りたい」という好奇心だけからではない。私なりのハングリー精神である。

 息子はそんな祖父の苦労など知らないし、今ある環境が当たり前だと思っている。小学生の頃から自分の部屋があり、傍から見れば恵まれている。この先、何か大きな逆境に落ちた時、そこから這い上がれる精神力があるかと問われると心許ない気がする。人間、逆境で育つということが、どこかで必要な気がしてならない。私自身、逆境で育ったというわけではないが、逆境で育った父の話を我が事のように聞けたのが良かったと思う。松本零士の漫画の影響もあるかもしれない。

 逆境を跳ね除けて成功した人の話はよく聞くが、恵まれて育ったお坊ちゃん(我が息子はお金持ちのお坊ちゃんとは残念ながら程遠い)が成功したという話はあまり聞かない。うまくいっている時は何も心配はない。心配なのは、何らかの苦境に立たされた時、あるいは逆境に陥った時、そこから這い上がれる精神力があるだろうかということである。かく言う自分がそれだけ逆境に強いかというと、必ずしもそう言い切れないが、少なくともある程度の逆境には打ち勝ってきたつもりである。

 人間、逆境に陥った時にこそその人の真価が発揮される。そういう時の訓練をどこかでする必要がある。今の甘いママの下では、親父としては心配である。千尋の谷に落とすとまではいかなくても、心構えくらいはママのいない所でじっくりと話し聞かせたいと思うのである・・・

Jerzy GóreckiによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



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