2023年3月7日火曜日

論語雑感 述而篇第七(その5)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】

吾不復夢見周公也。

【読み下し】

いはく、はなはだしかり

おとろへたる

ひさしかりわれふたたしうこうゆめみまみ。 


【訳】

先師がいわれた。

「私もずいぶん老衰したものだ。このごろはさっぱり周公の夢も見なくなってしまった。」

『論語』全文・現代語訳

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 周公とは、孔子よりさらに古い紀元前11世紀くらいの周代の政治家らしい。孔子が理想とするくらいの大人物であったらしい。夢にまで見たということは、それだけ憧れというか目標意識を強く持っていたのだろう。それだけの思いを持っていたのに、夢を見なくなったというのは、孔子は老いとしているが、実はそれだけの境地に達したということなのかもしれない。


 私が若い頃、悩んでいた一つは、「目標とする人物が身の回りにいない」ということであった。仕事そのものはやり方を覚えればある程度できる。しかし、仕事に対する取り組み方とか考え方、立ち居振る舞いなどはお手本があればやりやすい。それらは1人で考えていても思いつくものでもない。身近な疑問点をぶつけたり、参考にしたりする相手がいなかったのである。もちろん、まったくいないわけではなかったが、「身近に」いなかったのである。否、時間をとって月に一度でも会いに行けば良かったのだろうが、そこまで知恵が回らなかったということである。


 初めて部下を持った時の事、途中から1人優秀な部下をつけてもらった。彼はそつなく仕事をこなし、前任者の倍くらいのスピードで仕事をこなした。なぜこうも手早く仕事ができるのだろうかと思ったら、優先順位をつけてうまく仕事を捌いていたのである。私も仕事を頼むとしばし、「急ぎでないなら後でもいいですか」と言われたものである。もちろん異論はなかったが、それまで私は頼まれればすぐやらないといけないような感覚だったが、案外後回しにしても頼んだ方はなんとも思わないものだと身をもって知ったのである。部下に学ぶというのも情けない気もしたが、それも学びであった。


 最初に仕えた上司は、よく「仕事は盗むものだ」と言っていた。その時は、ただただ反発していた。「盗むのなんて非効率だ」と。「初めからきっちり教えた方が効率的だ」と。それはその通りであるが、一方で「盗んだものは忘れない」のも事実。盗むという事は、まず問題意識があって、それに対する気づきがあってのもの。気づきがあるから、自分のものにしようと思うのである。つまり、身近にそういう気づきを与えてくれる人がいなかったのである。


 気づきを与えてくれる人がいなかったのかもしれないし、あるいは気づけなかったのかもしれない。ただ、「この人違うな」と思うような人であればその人の言動に注目するし、そうすると気づきも得やすくなる。それもまた事実である。それでも今の自分になれたのは読書の成果が大きいと思う。ビジネス書などにはいろいろなヒントや気づきがある。読んでも大半は忘れてしまったりするが、考え方のエッセンスは知らず知らずのうちに残ったりする。門前の小僧のようにいつの間にかいろいろな考え方に触れて自分を磨いてこられたのかもしれない。


 夢にまで見るような尊敬すべき人物はいなかったが、読書などによっていつの間にか多くの学びを得られてきたのだろうと思う。誰か1人尊敬すべき人を持つのもいいかもしれないが、身の回りの様々なものから柔軟に学べるというのも大事だと思う。尊敬すべき人が身近にいなかったと嘆くよりも、老いてもなお何からでも柔軟に学べる自分であり続けたいと思うのである・・・


svklimkinによるPixabayからの画像 

 

【本日の読書】

 




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