2023年2月19日日曜日

論語雑感 述而篇第七(その4)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子之燕居、申申如也、夭夭如也。

【読み下し】

くつろたるたり申申如のびやかたり沃沃如ゆたかたり

【訳】

先師が家にくつろいでいられる時は、いつものびのびとして、うれしそうな顔をしていられた。

『論語』全文・現代語訳

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 家とは本来、くつろぐ場所である。誰に気を遣うこともなく、自分のあるがままの姿でいられ、思うままの行動を取れる場所である。素っ裸でいても誰にも咎められる事はないし、無防備に惰眠を貪る事もできる。心身の疲れを癒し、リフレッシュし、そしてまた外の労働等へと出向く元気を養う場所である。また、家でなくても、仕事がオフの時は同様である。そのはずである。本来は・・・


 ところが必ずしもそうではない。家にいてもくつろげるかと言われると、妻がいれば自然と気を使う。それどころかモノの置きっぱなしを指摘されたり、使用方法、利用方法について事細かく言われるので、とてもではないがリラックスなどできない。さらに妻は過度とも言えるきれい好きのところがあり、微に入り細を穿つ「指導」にはとてもついていけるものではない。勢い、「いないとホッとする」のが正直なところである。


 そんな妻だから、私が休日に家でリラックスしようとすれば最大の脅威となる。と言っても、妻には妻の考えがあり、言い分があるだろう。おそらく私の行動の一つ一つが妻の神経を逆撫でているのだろうことは想像に難くない。しかしながら、同じ事をやっても、私と息子とでは妻の態度が異なる。そこは腹を痛めた我が子が可愛いのだろう、私よりも対応はソフトである。それを嘆いても仕方がない。


 そもそもであるが、別々の環境で育った2人が一緒に暮らすとなると、どうしても価値観の衝突はおきる。さらに男は1週間や2週間掃除をしなくてもへっちゃらだが、女はそうではない(一般的に、ではあるが)。そのあたりの感性の違いもある。付き合っている時はそんな違いも大目に見られるが、一緒に暮らす期間が長くなると、「いいかげんにしろよ」となる。私も多少ならなんとか合わせられるが、あまりにも細かい妻の「マイルール」に最近ではついて行くのを諦めている。


 また、家の外でもそれはある。シニアラグビーのチームに加わっていれば、土日のどちらかは練習だし、試合も入る。試合などは月に2回程度にして欲しいと思うが、毎週末に入ったりする事もある。それは様々な都合があり、チームでやる以上、個人の都合で決めるわけにもいかないから仕方がない。雨の日は試合をしたくはないが、そうも言えない時がある。好きでやっている事とは言え、そういう思い通りにならない事はある。


 最近の週末はのびのびのんびりと言うよりも、やらなければならない予定で埋まって、「たまにはのんびりしたいなぁ」と思わず独りごちてしまう事もある。のびのびして家でくつろげる週末なんて、年に何回あるだろうか。孔子が当時どんな生活を送っていたのかはわからないが、いつものびのびとくつろいでいたのであれば、それはかなり幸せな事だと思う。もしかすると、亭主関白の時代であれば(少なくとも夫は)、可能だったのかもしれない。


 およそ人との関わり合いの中で生きている以上、自分の思い通りにいかないことは多々あるだろう。聞かれれば今晩何を食べたいかは答えるが、聞かれなければ出されたものを美味しくいただく。不満はグッと堪える。先日の夕食時、ふと見ると息子の前には私の前にないおかずがある。食べ盛りだし、特別なのかと思って黙っていたら、どうやら私に出し忘れていたらしい。「なぜ言わないのか」と問い詰められたが、言って「息子だけ特別」と言われても傷つくだけである。家庭では、「言わぬが花」が己の心の安寧には大事である。


 最近では、妻に小言を言われないのが、家でくつろぐためには欠かせない。その為には細心の注意と、仮に小言を言われても心にダメージを残さず受け流すことが必要である。妻のマイルールを一つ一つ覚えようなどと思わず、自然と頭に残るものだけを残す。小言は無我の境地でやり過ごすことがコツである。考えれば、世の中は人と人とが関わり合って生きているのであり、思い通りになるということがそもそもの勘違い。家でくつろぎたいのであれば、あらゆる関係を断ち切って一人暮らしをするしかない。


 考えようによっては、年に数度ある家で1人くつろぐひと時。それは妻が帰省したり、娘とジャニーズの地方コンサートに泊まりで行った時などの何もやることがないひと時。たとえわずかでもあるだけいいし、その時は心からリラックスして楽しめる。そんな至福のひと時は毎週でなくてもいいではないかと自分に言い聞かせる。たまにだからありがたみも増す。逆に家族と共に暮らす幸せはそれはそれとしてある。孔子は羨ましいが、いつものびのびくつろげなくてもいいではないかと1人思うのである・・ 

 


Free PhotosによるPixabayからの画像 

 

【本日の読書】

 




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