2022年7月6日水曜日

抑止力

 ウクライナでの戦争が続く中、スウェーデンとフィンランドがNATOへの加盟を申請した。ウクライナの加盟を阻止するために武力行使に踏み切ったロシアも、さすがに今回は眺めているしかない。NATOに加盟すれば集団安全保障の原理が働き、ロシアから攻め込まれる心配がなくなる。いわゆる「抑止力」という考え方であるが、これによって現在世界の平和は保たれている。それで保たれる平和というのが本当にいいのか悪いのかよくわからない。ただ、この「抑止力」があるからこそ、悲劇的な大戦が起こっていないというのも事実であるからなんとも言えない。


 第二次世界大戦が終結し、冷戦が勃発した後、第三次世界大戦の危機がよく懸念されたが、今日に至るまで77年間それは起きていない。その理由は「核の抑止力」であろう。米ソは互いに核ミサイルを保有し、お互いに向けあっている。撃ち合えば勝者はない。それゆえにお互いに戦うことを避ける。この「抑止力」こそが第三次世界大戦が起こらない理由とも言える。それは米ソ2国間のことだけではない。NATO然り、日米安保然りである。


 衆議院選挙が近づき、候補者の宣伝カーが忙しく動き回っているが、今日目にした候補は、日本の核武装を主張していた。被爆国である我が国が核武装という意見には抵抗感も多いと思うが、日本は現在、アメリカの核の傘の下にあり、それゆえに尖閣諸島も中国に取られずに済んでいる。一方、それゆえにアメリカから高い兵器を買わされ、基地はいまだに維持されている。沖縄の基地問題を解消しようと思ったら、アメリカの核の傘の下を出る覚悟が必要だと思うが、その時身を守るのは「核の抑止力」という考え方もできる。「使う」ためではなく、「抑止力」としての核武装であるが、一つの考え方としては正しいと思う。


 個人的には、核の抑止力になど頼るべきではないと思うが、現代社会ではやはり「抑止力」なくして平和は維持できない。非武装中立などという理想論もあるが、人類は今もまだ「抑止力」なくして平和を維持できるほど人間ができていない。せっせと軍備を増強し、同盟を組み、万が一の時に備える。そうして抑止力としての軍備を整えて睨み合うことで平和を保っている。それが真の平和なのかという問題はあるとして、「戦争が起こらない」という意味での平和は保たれている。


 人類はいつになったら、抑止力に頼らずに平和を維持できるようになるのであろうかと考えてみる。しかし、よくよく考えてみれば、この抑止力は至る所で働いている。たとえば道端で1万円札を見つけたら、拾うのに多分躊躇するだろう。周りに人がいるかどうかを気にするだろう。しかし、人気のない山の中であれば間髪を入れず拾うだろう。誰も見ていないという安心感からであるが、街中では「誰かに見られているかもしれない」という考えが拾うのを躊躇させる。これは抑止力だと思う。


 同様に、店に入って万引きをしないのも犯罪者となるリスクを恐れてのものだろう。「警察に捕まる」という恐れが抑止力として働く。銀行員時代、札束が日常的に身近にあったが、それをポケットに入れないのも、首になればその後の人生がメチャクチャになるという恐れが抑止力として働いていたからである(まれに働かずに捕まる人もいたが・・・)。さらに、子供が親や先生に叱られるのを避けるために良い子に振る舞うのも抑止力と言える。


 もちろん、そんな抑止力などに頼らずとも品行方正な人物もいるが、私の場合はかなりこの抑止力に負うているところがある。今まで痴漢などしたことないが、それも抑止力が正常にきっちり働いているからである(電車の中で喧嘩したりする時には働かないが・・・)。そう考えると、人間にはやはり抑止力が必要なのだろうと思ってしまう。ロシアがウクライナに侵攻しても、アメリカをはじめとしたNATOが介入しないのも抑止力。ロシアが(今のところ)核攻撃をしないのも抑止力。抑止力が戦争の拡大、深刻化を防いでいるのも事実である。


 本当なら、抑止力に頼らずとも、互いに違いを認め、共存共栄の精神で接することができれば、軍備だって本来は不要なはずである。人類は互いにより多くの武器を持って睨み合うことで平和を維持している。随分馬鹿げているなと思う。しかし、近年いろいろなところで「多様性」を是として唱えるが、政治制度においては民主主義以外の政治形態においてはその多様性を認めないのが当たり前のようになっている世の中では仕方がないのかもしれない。多様性を唱えるなら、軍事独裁性だって認められて然るべきである。自らの価値観に拘泥する姿勢が、抑止力なくして平和を築くことができない所以のように思えてならない。


 とは言え、自分自身も抑止力なくして品行方正さを保てないのがわかるゆえに、その愚かさもまた人類なのかとも思う。いつか人類も抑止力に頼らずとも世界平和を保てるようになるかもしれないが、それはまだまだ先のことだろう。世界平和については仕方ないとして、せめて自分自身だけでもなんとかしたいと思い。抑止力に頼らずとも品行方正さを維持できるようにできたら、人間として完成するように思う。そんな人間になりたいなぁと思うのである・・・


OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像 

【本日の読書】



0 件のコメント:

コメントを投稿