2021年11月21日日曜日

論語雑感 雍也第六(その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰。回也。其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、回(かい)や、其(そ)の心(こころ)三月(さんげつ)仁(じん)に違(たが)わず。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)るのみ。
【訳】
先師がいわれた。
「回よ、三月の間、心が仁の原理を離れなければ、その他の衆徳は日に月に進んでくるものだ」
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 何事であれ、3ヶ月間続けるとそれは習慣になり、何がしかのものになるということを聞いたことがある。「ローマは一日にして成らず」ではないが、コツコツと続けていくうちに、振り返ればそこに長い道ができているということであろう。しかし、「三日坊主」という言葉がある通り、一つのことを根気強く続けるというのは簡単なようでいてなかなかできないものであるのも事実なのだろう。

 私はと言えば、小学生の頃よりコツコツやるタイプであり、長い期間続けるのを苦にしないところがある。むしろ一気にやるよりも少しずつやる方が得意かもしれない。過去には大学受験もこれで宅浪生活を乗り切ったし、不動産会社勤務時代はこれで資格試験をクリアした。1日で10時間勉強するよりも、1日1時間勉強して10日間かける方を自分は選ぶのである。もしかしたら、飽きっぽくて一つのことを長時間続けられないというところがあるのかもしれないが、私はそういうタイプなのである。

 3ヶ月間何かを続けることは、私にとっては実に簡単なことで、それは最初にまず決めてしまうことである。決めたらあとはただひたすら実行するのみ。ただ、「続ける秘訣は無理なことはやらない」ことも事実である。1日1時間の勉強ならできるが、2時間だと少々きついし、3時間だと無理である。無理なく長く続けるのなら、1日1時間と設定する。それだと時間がかかるゆえに、早く着手するのも工夫の一つである。資格試験の場合、落ちたとわかった翌日から再チャレンジをスタートしている。

 体が鈍り、衰えるのが嫌で、平日家に帰ると軽く筋トレをしている。もう10年以上に及ぶ習慣であるが、毎日やっているわけではない。基本は月水金の週3回。これも毎日にすると続かないから、週3回にしたわけで、それでは意味がないと言われそうな気もするが、まったくやらないよりはマシであるはず。今も多少、筋肉が維持できているのは、この筋トレの成果であると信じている。

 どうせやらないといけないことや、やりたいと思うことは「ルーティン化」することだと思う。月水金は帰宅後筋トレをする。勉強するなら1日1時間と決める等々である。朝起きてから出勤するまでの行動をルーティン化するのも別の意味で重視している。毎日の行動を決めてしまえば考えずにできる。朝の通勤電車は読書に集中したいから毎朝同じ電車の同じ車両に乗る。そうすれば、考えずに動けるから、その間脳みそは他の事に集中できる。

 毎朝、同じ電車の同じ車両に乗っていると、「顔なじみ」が出てくる。その人たちも同じ考えなのかどうかはわからない。もしかしたら座れるパターンを会得しているだけなのかもしれない。そうした顔なじみがいつの間にかいなくなる。転勤なのか、出勤時間が変わったのか、そんな観察ができるのもこちらが同じパターンで通勤しているからである。私は、前職でもそうであったが、勤務条件が変わらなければ(あるいはダイヤ改正でもない限り)今の通勤パターンが何年も続くと思う。

 孔子の時代にすでにそんな考え方が浸透していたのだろうかと思うも、それが人間の習性なのかもしれないとも思う。次は何かやろうかとも思うも、帰宅してからの時間を割くのはだんだんと抵抗感を覚えるようになってきた。それではいけないと思いつつ、何か新たに習慣化するようなものを始めてみようかと思うのである・・・


Art DioによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



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