2021年6月27日日曜日

試合と練習

 週末は、いつもシニアラグビーの練習で汗を流している。この練習であるが、普通練習はなんのためにやるのかと言えば、当然「試合のため」である。試合に勝つためにそれに必要な練習をするわけである。当たり前のことであるが、シニアスポーツの場合は必ずしもそういうわけではない。「試合のため」という目的の人ももちろんいるが、「健康のため」という目的のための人もかなりいる。それはそれで悪くはない。試合がすべてではないし、スポーツの目的は試合もそうだが、根本には「楽しむこと」があると思うからである。

 私も最近はそんな風に考えているので、あえて試合にはこだわらない。幸い、所属しているチームは50代の選手が少ないというチーム事情もあって試合数が少ない(シニアラグビーは年代別に試合を組んでいる)。友人の中には、試合数の多いチームで数多くの試合をこなしているのもいるが、私はあえて試合機会を求めてそういうチームに移籍しようとは思わない。どちらかと言えば、毎週汗を流して心地よい疲労感を感じることで満足しているのである。

 この週末、知り合いのチームから助っ人を頼まれて、某所で行われている大会の試合に出場した。試合を目的とはしないと言っても、「人が足りない」と言われればそこは無碍には出来ない。チームスポーツである以上、試合をするには一定数のメンバーを集めないといけない。メンバーが足りなくて試合ができないというのはなんとも無念なところ。なのでそういう声がかかった時は基本的に断らない。かくしてほぼ2年ぶりくらいに試合に出場したのである。普段、平日は走らないが、先週は3日間走って準備をしての参戦である。

 合流したチームには、知った顔がいるとは言え、助っ人は他にもいてチームを組んでの試合となると事前の打ち合わせが必要である。特にサインプレーの確認はしておかないといけない。お互い経験者だし、このあたりは試合前に何回か練習を繰り返せばそこそこ合わせられるようになる。シニアゆえに正式の40分ハーフの半分、つまり20分ハーフ(前半後半それぞれ20分)である。出番は後半の20分のみ。それだけ考えると気楽である。しかし、試合が始まるとわずか5分で息が上がる。いくら練習をしているとは言え、練習と試合は違う。練習は途切れ途切れの繰り返しであるが、試合は基本的に連続である。息が上がるのも当然である。

 息が上がると、意識レベルが下がるし、当然反応も鈍くなる。何より走れなくなる。これを「年(年齢)」と捉えるともう改善の余地はない。なぜならこれから若くなることはないからである。だが、「練習不足」と捉えるとそうではない。私は「練習不足」と考えている。なぜなら、学生時代や社会人ラグビーの現役時代は、しっかり練習を繰り返してこの「息が上がる」を克服していたからである。息が上がった状態で練習を繰り返すことにより、試合で走れる体力を維持できるのである。

 試合は、なんと私が「シンビン(10分間の一時退場)」を宣告されて20分のうち10分しか出られないというアクシデントに見舞われる。それでもたった10分なのに普段の2時間の練習より疲労度は大きく、また体のあちこちが痛い。いつの間にかできた打撲で帰り道はビッコを引き、マツモトキヨシで湿布薬を買い込んで貼っている有様である。思うように走れないし、抜けたと思ったら敵に捕まるし、キックはうまく飛ばないし、唯一現役時代と変わらず出来たのはタックルくらいであった。やはり練習不足の影響は大きい。

 さらに咄嗟のプレーに機敏に反応できない。だから、試合中も常に場面場面で想定されるプレーを頭の中でシミュレーションしている。現役時代は毎日のように練習していたし、毎週試合もしていた。その成果は「身体で覚える」ということに現れる。咄嗟のプレーに対しても無意識に身体が動くのである。頭で考える前に身体が動くのである。しかも適切に。それがこの頃はそうではない。「あの時ああすれば・・・」という後悔が常に伴う。だからシミュレーションは欠かせない。練習をしていたとしても、ダラダラやっていては意味がない。常に試合を想定し、その上で練習を繰り返すことが必要なのである。

 また、観るのも勉強になる。昨日は日本代表がブリティッシュ&アイランド・ライオンズ(要は全英代表チームである)とテストマッチをやっていたが、観ている時も各プレーヤーの動きから、自分の試合での動きのヒントを得たりする。練習だけだとそうはいかない。やはり試合を経験すると、「次はこうしよう」とか、「あそこはこうすれば良かった」という学びが得られたりする。その基本はすべて試合経験であり、やはりそこが出発点とも言える。試合は残念ながら日本代表も私のチームもともに負けてしまったが、やはり勝った気分を味わいたかったと思う。

 試合にはこだわらないと思っていたが、やれば面白い。体は痛いし、息が上がれば苦しいし、この歳になると怪我が怖いのも確かである。しかし、やはり面白い。「またやりたい」と素直に思う。年甲斐もなくと言われたとしても楽しいのだから仕方がない。年齢による衰えをカバーするには、もっと練習の負荷を上げた方がいいだろう。人より多く早く走るように心掛ければ、同じ練習をしていても負荷はかけられる。今まではそれほど負荷をかけようとも思わなかったが、試合にもっと出たいと思うならそうする必要がある。そして、久しぶりに試合に出て、「また出たい」と素直に思う。そしてそのために練習しようと。

 となれば、これからの練習に対する取り組み姿勢も変わってくる。何より弱点を強化し、思う通りのプレーをして気持ちの良い結果を残したい。肉体的な残り時間もそれほど多くないのは確か。であれば、無理のない範囲でもう少し試合を意識して練習に臨みたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 



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