2021年6月16日水曜日

新聞はかくあるべし

「社説で五輪中止を求めるのにスポンサーは継続」朝日新聞が信頼を失った根本原因
社内のジャーナリズムは荒廃の一途
鮫島 浩
************************************************************************************

 マスコミの問題を考えるにあたって面白い記事を見つけた。記事の著者は元朝日新聞の記者だそうで、その内容は朝日新聞がオリンピックのスポンサーに名を連ねている(推進派の立場)一方で、中止を求める社説を出したことに関して論じているものである。今やかつて800万部を誇っていた発行部数は500万部に落ち、赤字転落しているという朝日新聞。そうした状況下で出された社説であるが、これについて、「朝日新聞の社内では、五輪中止を求めた社説が問題視されている。読者の信頼を回復するには、まずは社内の『言論の自由』を回復するべきだ」と主張している。

 著者は今年27年間勤めた朝日新聞を退社し、フリーとして独立したそうである。その理由は、「国家権力を監視する批判精神を失い、『客観中立』を装った『両論併記』の差し障りのない記事を大量生産して安穏としている社内の空気に失望したから」だそうである。個人の考えは人それぞれだからどう考えようと自由だが、朝日新聞が「両論併記」だとはつゆ知らなかった。常に政権批判ばかりかと思っていたからだ。それはともかく、現場の記者が『客観中立』、『両論併記』を良しとしていないところが私の考えとは大きく違うと感じた。

 私がマスコミ(特に新聞)に求めるのは、何より『客観中立』、『両論併記』に他ならない。新聞の考えなどどうでもいいのである。考えるのは私の自由であり、新聞の勝手な意見はどうでもよくて、望むのはただ「考える材料を与えてほしい」ということだけである。今は憲法に賛成意見であれば産経新聞、反対であれば朝日新聞を読まなければならない。そんなの大変である。一紙で両論が読めたらそこで比較して考えられる。それこそ私が望むものである。

 新聞記者としては、やはり自分の主義主張を訴えたいと思うのだろう。どっちつかずの記事を書いても面白くない。自分の秘めたる熱い思いを世の中に問いたいという気持ちはよくわかる。それを否定はしないが、私はその反対意見も聞きたいのである。ただ、それは無理なのだろうと思う。新聞の意見は一つの立場を維持すべしという考え方が、当の新聞社はもとより、世間一般の意見なのだろう。だが、新聞社の中にも意見の相違は当然あるだろう。ただ、それを「社の方針」に合わせているだけだろうと思う。

 例えばもし私が朝日新聞に就職して記者になっていたら、憲法改正賛成の記事は書かせてもらえなかっただろう。政権を擁護する記事も同様。中国・韓国批判の記事なんて論外だっただろう。ただ、それはよく考えてみると「言論の自由がない」ということに他ならない。言論の自由の先頭を行くべき新聞社内に実は言論の自由がないわけであり、これは面白い問題だと思う。それとも入社時にみんな同じ考え方の人だけになるように厳選しているから意見の不一致などないのだろうか。

 「会社の方針」に従わなければならないのは、どこの民間企業でも同じであるが、新聞社の場合は言論の自由との関係で難しいものがあるように思う。会社の方針と自分の意見が異なる場合はどうするのだろう。会社の方針に従って意見を差し控える(あるいは自分の考えとは異なる意見を書く)のであれば言論の自由に反するし、言論の自由を主張して会社の方針に反する意見を表明すればサラリーマンとしてはまずい。まぁ、会社の方針に反する意見などそもそも紙面には載せてもらえないというだけのことだろうし、その場合は言論の自由の封殺には当たらないということなのかもしれない。

 今回は、図らずもそれが露呈したということであろう。中止派からすれば、これまで通りの政権批判を貫いているわけで、気分はいいだろう。ところが金勘定をしている推進派は、「会社の大変な状況をわかっていない」と忸怩たる思いを抱いているのかもしれない。だが、それはそれでいいだろうと思う。同じ社内であっても意見の相違はあって当然。ましてや国民においておやである。だからこそ、「両論併記」があるべき姿だろうと思うのである。

 同じ紙面で、「オリンピック推進派」と「中止派」とで堂々と意見を主張しあえばいいと思う。「当たり障りのない客観中立」ではなく、賛成と反対が激しくバトルする「両論併記の客観中立」の方が健全であると思う。著者はもちろんそんなことはとんでもないという考えだろうが、それこそとんでもないと思う。新聞記者は自分の意見を主張することこそが使命とでも思っているのかもしれないが、それは1つの意見にしか過ぎず、お金を払ってまでそんな偏った意見を押し付けられたくはないと思う。

 今の朝日新聞のスタンスというものは、表向き正論で着飾っていても、その実矛盾に目をつぶったりごまかしたりしているに過ぎないと思う。アメリカは批判しても同じことをした中国は批判しないというのでは信頼に欠けるだろう。従軍慰安婦問題で世論をミスリードしたのには頬っ被り。政府だって批判されるべきことばかりではなく称賛されるべきこともあるだろう。それはそれで素直に称賛すべきだし、それがあるべき姿だろう。そういうことを蔑ろにしてきたからこそ、ここにきて発行部数が激減しているのではないかと個人的には思ってしまう。

 今の新聞の問題点は、「書いてある内容をそのまま信用できない」ということに他ならない。それはすなわち、「偏った意見を一方通行で表現している」ということである。世の中には様々な考え方の人がいて、だからこそいろいろな考え方を知った上で自分の考え方に生かしたいと思うが、新聞はその役には立っていない。それを変えようとするのであれば、両論併記を強く求めたいと思う。

 そんな紙面が実現したら理想的である。その時はすぐに朝日新聞の購読を始めるのにと思うのである・・・



【本日の読書】
  



0 件のコメント:

コメントを投稿