2021年4月25日日曜日

経営道

 人は誰でもお金を出して会社を設立すれば経営者になれる。今は昔と違って資本金のルールも緩いので、まとまったお金がなくても会社は設立できるから、誰でも簡単に社長になれる時代である。しかし、簡単にはなれても真の経営者と言えるような社長になれるかと言えばそうではない。武士に武士道があったように、経営者にも守るべき道というのがあるように思う。そういういわば「経営道」のようなものを身につけた人物こそが真の経営者と言えるのだと思う。

 そうした経営者が守るべき「経営道」(それはこういうものと決まったものなどはないのだが)を守れているかどうかは、危機に際して、あるいは最後の時に本性がわかるものである。普段は立派な社長も、いざ倒産の危機となった場合に変貌するというのは、私も銀行員時代に多く見てきた。そうした危機にあって、あるいは最後まで変わらず人徳を保ち続けることができる人物こそ真の経営者と言えるのだと思う。

 企業においては、「お客様」「従業員」そして経営者自身の利益が絡み合う。理想的な優先順位は、「お客様→従業員→社長」である。この順番が最後まで守れるかどうかが、1つの試金石と言える。例えば数年前、韓国でセウォル号事件というのがあった。フェリーが沈没して大勢の犠牲者が出た事件だが、注目を浴びた1つが、船長がいち早く避難してしまったことである。この事故では、乗務員による適切な避難指示がなかったことが大勢の犠牲者を出した一因でもある。

 会社の社長は船で言えば船長である。船長は乗員・乗客の安全には責任を負い、危機にあっては「最後に船を降りる人」でなければならないわけである。それを放棄して真っ先に避難してしまったセウォル号の船長が非難を浴びたのは当然である。何も旧帝国海軍の艦長のように「艦とともに運命をともにする」までいかなくてもいいだろうが、少なくともギリギリまでその努力はすべきであろう。

 船も突然沈没するわけではなく、ある程度時間の余裕はある。であればできることも多いはずである。企業も突然死ばかりではなく、ある程度時間の余裕があったりする。環境の悪化で売上が落ちたりする場合は、経営者であれば「まずい」というのは真っ先にわかる。その時、自分の財産だけ隠したり、あるいは自分だけ夜逃げをしたりというのはいただけない。よく、朝出社したら会社が倒産したと知らされたなんて従業員の話を聞いたりするが、それなど船長が真っ先に避難してしまう例である。

 数年前に成人式に予約していたレンタルの着物が借りられなかったという事件があった。ユッケを食べた小学生が亡くなったという事件もあった。いずれも社会的に大きな問題になり、経営者も矢面に立たされたが、危機に至る過程や、危機が実現した時に「お客様→従業員→社長」という優先順位を守れるかが、経営者の大きな試練であると思う(両社の経営者がどう行動したかはよくわからないのでコメントはしない)。また、倒産とまではいかなくても、高齢等によって事業継続が困難になった時の会社の畳み方などにもそれは表れるかもしれない。

 例えば、会社を畳めば従業員は職を失う。お客様はその会社のサービスを受けられなくなる。それに対してどういう手当をするか。他社で代替できるサービスであればその案内でいいだろう。従業員に対しては、就職先を斡旋したり、あるいは当面必要な資金をまかなえるように十分な退職金を支給したりすることができるだろう。時間的な余裕も必要だから、一年くらい前から計画を話しておくことも必要だろう。最後の営業の日に、従業員から花束をもらって感謝の言葉を得られたら、それがその人の経営者としての成績表と言えるだろう。

 そうした最後の姿でなくても、日頃からお客様優先、従業員優先の経営ができているかも重要だろう。クレームに真摯に向き合わなかったり、気に入らない社員を辞めさせたり、減給したりということもあるかもしれない。おおよそ、経営者としてふさわしくない人物の経営は日頃からその言動の端々に現れているものである。残念ながら、経営道を気にしなくても経営はできるわけであり、だからこそ自分の預金通帳の数字が増えるのだけが楽しみという経営者も多い。

 武士は武士道に反した行動をとればそれは恥とされた。そういう不名誉を武士は恐れたが、経営者にはそれがない。もう少しそれが広まれば、世の中(特に中小企業では)働きやすくなったりするのかもしれない。そうした「経営者教育」が広まればとも思う。自分は経営者ではないが、それに近い立場にいる。せめて自分は、「経営道」を意識し、身を正していたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 




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