2020年3月8日日曜日

論語雑感 里仁第四(その16)

論語を読んで感じたこと。あくまでも解釈ではなく雑感。
〔 原文 〕
子曰。君子喩於義。小人喩於利。
〔 読み下し 〕
いわく、くんさとり、しょうじんさとる。
【訳】
先生いわく、
「君子は正義に敏感であり、小人は利益に敏感である」
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 君子か小人かはともかく、物事を判断するのにお金で考える人と「お金以外」で考える人がいるのは現代でも同じである。たとえば、我々の仕事は不動産賃貸である。自分たちの所有物件を貸す場合と、他のオーナーが所有する物件を貸す手伝い(賃貸管理)をする場合と二通りある。自分たちの所有物件を貸す場合は自分たちで判断できるが、賃貸管理の場合はオーナーの意向に従わないといけない。そしてオーナーも見事にこの二通りに分かれるのである。

 「お金」を優先して考えるお金基準オーナーは、入金が遅れることと出費が増えることに敏感である。例えば滞納の場合、我々も当然遅れた段階で督促するし、それがうっかりミスなのか何か深刻な前兆なのか早い段階で確認する。もちろん、「しばらく待って欲しい」と言う要望があれば事情を伺って静観する。しかし、お金基準のオーナーは「大丈夫なのか」「責任は取れるのか」と追及してくる。一方、お金以外基準のオーナーは「よく事情を伺って下さい」と言って、基本的にこちらに任せてくれる。

 そのほかにもお金以外基準のオーナーは、契約更新してくれたらプレゼントをしますとか、部屋の設備に不具合があれば出費を厭わず対応してくれるし、「快適に住んでもらって下さい」と住む人のことをよく考えてくれる。しかし、お金基準のオーナーは、エアコンの交換にしても「修理ではダメなのか、交換せざるを得ないとしてももっと安くできないのか」となんとか出費を抑えようと躍起になってくる。どちらが対応しやすいかと言われれば圧倒的に前者であり、我々にとってはお金以外基準のオーナーの方がありがたい存在である。

 もちろん、お金は大事である。綺麗事を言っていてもお金があってこそ生活を維持できるわけである。オーナーさんとてそれは同じであり、入出金に目を光らせるのは当然である。お金以外基準のオーナーさんに関して言えば、今のところ生活に余裕がある方も多く、だからこそあくせくしていないとも言える。もっとも、お金基準のオーナーも同様の方が多く、基準の違いは「生活に余裕があるか否か」と言うわけではないと思う。単にお金に厳しいか否かの違いだろう。

 ここで「住む人のことを優先して考える」というのは、孔子の言う「正義」に当てはまるのだろうし、お金基準はそのまま「利益」である。基準の違いは、自分か他者かとも言える。つまり、自分の利益が先か他者の利益が先かと言うことである。そう考えれば、二つのオーナーのタイプの説明もつく。考えてみれば世の中の「正義」とは他者の利益とも言える。他人のことを考えられることは、人の尊敬を集める要素であり、それが孔子の言う「君子」なのかもしれない。

 では、お金以外基準のオーナーがみんな君子かと言えば、それはその通りであるが、でも本当にそうだろうかとも思う。みんな自分には余裕がある(だからアパートを持っていて貸せるのである)。自分は安泰であり、その上で他者を思いやっている。もしも、自分に余裕がなかったら、それでも他者の利益を考えられるだろうか。例えば先日『ガイアの夜明け』で、経営危機に陥った会社の社長が銀行から辞任と自己破産を迫られ、従業員の雇用を守るため株を無償譲渡し、自己破産したと紹介されていた。こういう他者を優先する行為こそが本物だろうと思う。

 「お金に汚い人間」にはなりたくないとは誰もが思うだろう。ただ、現実的にはお金優先思考の人はかなり多い。自分の身が危うい時にも尚正義を考えられる人こそ君子であると思うが、凡人としてはまず「自分が安泰の時は」正義を考えられる人でありたいものだろう。「ノブレス・オブリージュ」とはいかなくても、自分が困窮していない限りはそうありたいと思う。お金は欲しいが、すぐに手を出す前にじっくりとまわりを見回すことができる人間でありたいと思うのである・・・




【今週の読書】

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