2020年3月19日木曜日

№1より№2

 「日本で一番高い山は富士山、では二番目に高い山は?」という質問がビジネスの現場では使われることがある。要は、「№1にならないと覚えてもらえない」ということを言いたいがための例であるが、それはその通りであると思うしそれを否定するつもりはない。商品やサービスなどビジネスではやはり№1になることは重要であろう。ただ、個人のあり方としては必ずしもそうではない。そこは好みの問題であるが、私個人としては№1より№2の方が居心地がいいと常々思っている。

 もともと「無冠の帝王」的なところが好きな性分があるからかもしれない。英語とか将棋とかで級や段という資格を取ることに興味がない。なぜなら英語なんか英検もっていなくても喋れる人は喋れるし、将棋でも柔道でも剣道でも段があるから強いというわけでもないだろう(段が上の方が常に勝つというわけではない)。それゆえに級や段を取って悦に入っている暇があったら真の実力の向上に目を向けるべきだという風に考える。「大事なのは中身だ」と。

 ちなみに日本で二番目に高い山は「北岳」であるが、その標高は3,193mだという。日本一の富士山(3,776m)とは583mの標高差がある。調べてみると、北岳以下は第10位の大喰岳(3,101m)まで標高差は100mもなく、団子状態。富士山だけが飛び抜けて高いので、そういう意味では二番目が知られていなくても不思議はない。ただ、無名とは言え3,000m級の山である。「実力があって無名」ということもできる。2位だから実力がないというわけでもないところが、あまり表立って目立ちたくない自分には性に合っている。

そんなわけで、№2がいいと言っても「2位に甘んじている」というより、「目立たない心地良さ」を選んでいるところがある。実際、高校時代ラグビー部のキャプテンを務めていたが、単にチームリーダーという役割以外にも学校側との折衝役的なところもあり、それほどいいところばかりではなかった。逆に大学時代はラグビー部のキャプテンではなかったが、「対外交渉担当」という重責を担っておりながら(練習試合などは、現況に合わせてどこのチームと試合をするかまで決めていたのである)、トップではないことに気楽な立場の充実感を味わえたものである。

さらに、現在では会社の№2であるが、これもまたやりやすいものがある。我が社はワンマン社長ではないから、会社の方針等の運営には大いに関与させてもらっている。大きな交渉事でも交渉役を任されることも多いが、そうした交渉では№2であることが有利に働くこともある。それは、「その場で決定せずに会社に持ち帰ることができる」ということである。社長の立場であれば、結論を求められたら答えねばならない。しかし、№2であれば「帰って社長に報告し、その後で返答する」と回答することができる。簡単かつ前向きな話であればいいが、慎重に検討すべきことであれば、一旦回答を保留して持ち帰ることができる。会社の意思決定において、このメリットは大きい。

徒競走等ではやはり負けると悔しいし、一番になりたいとは思う。だが、2位の心地良さもある。大学時代、まだレギュラーになれなくて悪戦苦闘していた時、本来レギュラーが出る国公立大会の公式戦で、2軍中心にメンバーを組むことになった時があった。負ければ敗退の勝ち抜き戦。相手は当然一軍。一軍メンバーであれば勝てる相手ではあったが、果たして二軍で勝てるのか。そういう緊張感があったが、結果は見事に勝利。その時改めて感じたが、一軍同士で勝つのもいいが、二軍で相手の一軍に勝つのはなかなかの優越感に浸れるというもの。責任を果たした喜びとあわせてそんな感情を抱いたのである。

考えてみれば就職の時も「業界№1」の企業は選択しなかった(当時の№6を選択した)。もともとのアマノジャッキーな反骨精神もあるのかもしれないが、№1志向がないことはいろいろな面であると思う。良いのか悪いのかではなくて、あくまでも「嗜好」の問題であるが、№2に居心地の良さを感じるのが自分という人間だと思うのである・・・


【本日の読書】




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