2019年8月26日月曜日

優越感

ご近所に住むAさんとBさんは互いに同じ年のお子さんを持つママ友である。両家のお子さんとも同じ小学校に通う同級生であり、ともに中学受験をした。同じ中高一貫校である。Aさんのお子さんは合格したが、Bさんのお子さんは残念ながら不合格で、そのまま地元の公立中学に進学した。その後、高校進学に際し、Bさんのお子さんは頑張って難関高校に合格した。さらに3年後、Aさんのお子さんは難関大学にストレートで合格。Bさんのお子さんは現役合格を果たせず、今年浪人中である。

何せご近所のことゆえであるが、AさんがしきりにBさんのお子さんの状況をママ友に聞きまわっているという。どうもBさんのお子さんの進学先をかなり気にしているようである。というのも、中高一貫校の受験では、見事我が子が合格したが、高校でBさんのお子さんがAさんのお子さんの通う中高一貫校より偏差値の高い難関高校に合格したことで、どうもライバル視しているようなのである。中学で感じた「優越感」を高校で覆されたというわけである。

その関心は勢い次の大学受験に向き、我が子が無事難関大学に合格したことで「ライバル」の動向が気になって仕方がないというところらしい。個人的には我が子の学歴ではなく、自分の学歴で比較したらと思うのだが、人というのは何かにつけ「優越感」を感じたいものなのかもしれない。ご近所で似たような家に住んでいるから、おそらく生活レベルでは同じようなご家庭同士。差がつくとしたら、愛しい我が子となるのかもしれない。さらに我が子の通う学校が偏差値の高い学校であれば尚更なのだろうと思う。

個人的には、「くだらない」と思う。私などは子供がどこに行こうが構わないし、たとえ優秀な学校に行っても、それだけでは大したことはないと思うから自慢する気にはなれない。しかし、人にはこうしたどこかで「優越感」みたいなものを持ちたいと誰もが思うものなのではないかと思う。個人的にはそんな「優越感」など持たないようにしようと意識しているが、やっぱり心くすぐられるところがあるのも事実であるし、果たしてどこまでできているだろうかと思わなくもない。

そうした優劣に対する感情は誰もが感じることだと思う。自分より偏差値の高い学校に行っている人には引け目を感じるし、逆に低い学校に行っている相手には優越感を感じる。それは学校だけではなく、勤務先だったり、所属するチームだったりするかもしれない。また、同じ会社でも、たとえば出世で差がついていたりしても同じかもしれない。そうした優劣の感情はくだらないと思いつつ、気にならないと言えば嘘になる。私自身、銀行員時代も後半になると、出世ではだいぶ同期との間で差はついていたし、その差には心中穏やかならぬものを感じていたのも事実である。

そういう優劣に対する感情はどうしたら克服できるのであろうかと考えてみる。特に「劣る」方である。それはとどのつまり「開き直る」しかないような気がする。下手に隠すことなく堂々とオープンにすることである。たとえば、私も銀行を辞めて従業員10名の中小企業に転職した。会社の規模から言えば大したことはないが、人に聞かれれば堂々と教えている。下手に見栄など張るから心苦しくなるからである。実際、そうして大っぴらに語っていれば、クラス会に出て大手企業の要職にある友人と会っても卑屈に感じることはない。

大事なのは卑屈にならず堂々としていることではないかと思う。そしてそうあるためには、根拠となる考え方がないといけないかもしれない。私の場合、中小企業でも社長と共に会社を動かしているという自負がある。そういうものがあると、卑屈にはならないで済む。国産車に乗っていても高級外車に乗っている人に劣等感を感じないのは、「たとえお金があっても外車は買わない」という信念だ(負け惜しみとも言うかもしれない)。世の中、国産車(大衆車)に乗っている人の方が多いわけだし、気にしないと決めてしまえばラクである。

そうした優劣感覚は、結局のところ考え方次第だと思う。下手に見栄を張れば窮屈になるし、下を見て優越感を持てても、必ず上には上がいるわけだし、そうなると上を見れば卑屈になってしまう。そうであれば、上だろうが下だろうか平常心で接することこそが解決策であり、我が子だって他所の子だって、「どこの学校に通っているか」ではなく、「どんな学生生活を送っているか」で競うべきだと思う。どんな学校に行っていようと、我が子が楽しそうに通って充実した学生生活を送っているのならそれだけで誇らしく思いたい。

 頭では十分理解しているが、それを日々実生活の中で実行できるか。なかなか難しいところではあるが、「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、日々意識していたいと思うのである・・・




【本日の読書】
  
   
   
 

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