2018年1月11日木曜日

年賀状

仕事では、まだまだ「おめでとうございます」などと挨拶をしているが、それを除けばもう正月気分はかけらもない。この時期、ようやく年賀状の記録を終えて、もらった年賀状の整理を終えた。毎年毎年、いろいろな年賀状をもらうが、ここ3年ほど自分の出す年賀状は自分の近況を書くタイプだ。以前は家族の写真を載せ、差し出す相手一人一人にわずかなコメントを書いて出していたが、今はコメントもほとんど書かなくなっている。コメントを書かないのは近況報告があるためでもあるが、面倒だからでもある。

思えば、子供の頃は年賀状が苦痛だった記憶がある。人によっては凝った版画を作ったりしていたが、自分にはそんな才能なかったし、デザインを考えるのが何よりも苦手だった。あの頃どんな年賀状を出したのかなんてもう覚えてはいないが、大変だったことだけは記憶に残っている。そんな年賀状だが、もらうのは悪くない。大半の人は日頃ご無沙汰しているので、何となくその人を思い出すタイミングになっている。もらうのは悪くないが、中にはやっぱり考えてしまうものもある。

一つは会社関係だ。日頃、毎日顔を合わせていて、新年早々に会うのにわざわざ年賀状を出し合うのはどうかと思う。もらえば出さないといけない。会社の何人かとはそんな「付き合い」で出し合っている。それが職場が変わっても続いているのがいまだにある。もう15年以上一度も会っていないが、年賀状だけ続いている昔の同僚である。何となくタイミングが合ってお互いにやめた人もいるが、続いている人もいる。「いつまで」という気持ちと「年賀状くらい」という気持ちが交差している。

今年いただいた年賀状をチェックしていると、こちらから出したのに2年続けて来ていない人がいた。これはたぶん、「やめましょう」というメッセージなのかもしれないと思ってみる。目上の方だとこちらからやめるのは失礼な気がするが、相手がやめるのならそれに合わせれば気が楽である。あるお世話になった方からは、すばり「今年で最後にしたい」と年賀状に書かれていた。たぶん人徳のある方だから、仕事の付き合いが途切れた人からも年賀状はたくさんもらっていて、そろそろリタイア年齢でもあって一区切りつけたいのかもしれない。

そうした「お付き合い」の年賀状が減るのは構わないと思うが、友人関係はやはり続けていきたいと思う。一枚一枚年賀状を読みながら、「今年は飲みに誘ってみようか」などと思うのである。Facebookで近況がわかっている人はともかく、年に一度ご無沙汰している友人の顔を思い出すには、年賀状はいい機会となっている。しかし、やっぱり将来的には(少なくとも「はがき」という形態では)廃れていく習慣に思えてならない。

「面倒だ」という思いは拭いきれないものの、やはり友人たちとのつながりは大事にしたいし、年賀状はそのために必要な交流手段としておきたい。世間的には廃れようと、個人的には友人たちのところは維持していきたいところである。そんなことをつらつら考えていると、今年はご無沙汰している友人たちの何人かにはこちらから積極的に連絡をとって飲みに行こうかという気になった。頭に浮かんだ何人かの友人に、さっそく連絡してみようと思うのである・・・





【本日の読書】

 
 
  

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