2018年1月22日月曜日

論語雑感 為政第二(その17)

子曰。由。誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。

()わく、(ゆう)(なんじ)(これ)()ることを(おし)えんか。(これ)()るを(これ)()ると()し、()らざるを()らずと()す。()()るなり。

【訳】
先師がいわれた。由よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、素直な態度になる。それが知るということになるのだ
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この言葉を読んで真っ先に思い浮かんだのは、ソクラテスである。ソクラテスの「無知の知」は、まさに「私は知らないということを知っている」というもので、孔子が説く「知らないことは知らない」とほぼ同意である。ともに紀元前400年頃の同時代の人であり、ギリシャと中国という距離を考えたら、どちらかの説を聞き知ったということはないであろうから、たまたま東西の思想家が同じようなことを語ったのであろう。

 小さな子供に問いかければ、知っていることは元気に「知ってる!知ってる!」と言うし、知らなければ声も小さく「知らなぁ〜い」と答える。我が家の子供たちもそうであったが、実に素直である。ところが大きくなるにつけ、だんだんと「知ったかぶり」をするようになる。知らないと言うことが恥ずかしいことに思うのか、言ってみれば「見栄」ではないかと思うのだが、そういうものが出てくる。洋の東西で、同じようなことが語られるということは、それが長い年月を経ても変わらぬ人の性なのかもしれない。

 この言葉(正確に言えばソクラテスの「無知の知」の方)を知ってから、自分としてはなるべく「知らないものは知らない」と言うようにしている。私も一人前に見栄というものがあり、「知らない」と答えるのは屈辱的な感じがするが、むしろ知ったかぶりをして、後でそれがバレた時の方が余計に恥ずかしいし、そう考えることで素直に「知らない」と言えていると思う。もちろん、知っているつもりだったが、実はそれは間違っていたというケースもなくはないが、意識の中ではできていると思う。

 よくよく考えて行くと、「知らない」と言えないのは、やっぱり「見栄」だと思う。そしてこの「見栄」というものは、誰にもあるものであると思う。見栄というのは、少しでも自分を良く見せたいという思いであり、それは積極的なものと防衛的なものとであると思う。積極的なものとは「良く見せたい」というものであり、防衛的なものとは「悪く見られたくない」というものである。「見栄など張らない方がいい」のは誰でも知っていると思うし、「あなたは見栄っ張りですか?」と問われて、「はいそうです」と答える人はそんなにいない気もするが、人は誰でも少なからず見栄っ張りであると思う。

 例えば、三年前、私は大手の銀行を辞めて社員わずか10名の中小企業に転職した。中小企業というより、零細企業かもしれない。以後、意識しているのは「それを積極的に言う」と言うことである。勤務先と言うのは、どうしても男の肩書きのようなところがあり、特に私のように大学の先輩後輩同期はほとんどが大企業に勤務していると、自然と引け目のように感じることがある。同期の友人でも大企業の部長職にあったり、関連会社の社長だったり、官庁の課長だったりとそれなりの地位についていたりするとなおさらである。

 しかし、それを卑屈に感じて隠すと却ってみっともないと思う。ならば堂々と言った方が勝ちだと思う。後で知らないとバレる方が恥ずかしいのと一緒である。正直言ってそれも見栄である。会社内でも、自分は不動産業界では新人であり、基本的なことを知らないことは多い。その都度教えてもらっているが、「知らない」と言うのは苦痛ではない。なぜなら、業界の慣習など知らなくても恥ずかしいことではないし、自分には金融機関勤務で得た知識等、逆に誇れるものもある。だから不得意分野で見栄を張る必要もないという考えである。

 結局、自分は捨てきれない見栄もあって、それを捨てることは多分無理であるが、考え方を変えることによって捨てるのと同じことができると思う。「これは知らないけど、別の分野ではあなたより詳しいよ」と言うものがあれば、見栄は維持できる。大企業をやめてベンチャー企業を創業した気分で語れば中小企業勤務も恥ではない(実際、会社を動かしている自負がある)。そう言う「江戸の仇を取れるところ」があることが、「知らない」と素直に言える拠り所のような気がする。

 見栄は悪いものではないと思う。それよりも常に自分の拠り所となるものをしっかり持って、「負ける余裕(=知らないと言う余裕)」を持てたらいいなと思う。
 これからも、胸を張って「私は知らない」と言い続けたいと思うのである・・・

 





【本日の読書】


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