2018年1月28日日曜日

記者会見に思うこと

今週一番印象に残ったニュースは、「はれのひ」社長の記者会見であろう。「記者会見をやる」と聞いてまず驚いた。はれのひ事件のニュースは、成人式当日に新成人に着物を渡さず全て放り投げて社長はトンズラしてしまったという程度の認識であった。経営に行き詰まって、お金を持てるだけ持って逃げたのだろうと。近年、旅行代理店の「てるみくらぶ」と同様、悪質な詐欺行為の類だろうと思っていたのである。

 そんなところがノコノコと出てきて記者会見などやるわけもなく、従って「やる」と聞いた時に「おやっ?」と思ったわけである。「詐欺を働くような社長が記者会見をやるのだろうか」と。当然、そんなわけで興味を持ち、ネットで記者会見の様子が配信されていたのをいいことに見てみた次第である。その会見を見ていて感じたのは、当初のイメージとは違うなという感想である。

 確かに事件そのものはけしからんものである。経営者としての能力は最低というよりないと言った方がいいだろう。記者会見で感じたのは、ギリギリまで何とかしようと奮闘し、何ともならずに当日になって逃げてしまったという経営者としてのいい加減さと人間としての弱さである。しかし、そこには当初抱いていたような悪質性はないように(少なくとも私には)思われた。

 人間は弱いもので、どうしても大変な状況の中で顔を背けて逃げてしまうということはあると思う。褒められたものではないが、そういう弱い人間を責めるのも酷であると思う。振り返ってみれば、経営者としてはもっと早い段階で最悪の事態を想定し、お客様への悪影響を回避する手段を取るべきであっただろう。しかし、それは経営を諦めるということであり、家族を養わなければならない立場としては、その生活をどうするかという問題でもあり、簡単には諦められなかったのだろう。

 それよりも記者会見で違和感を感じたのは、「記者の質問レベル」である。当日次々に手が上がって各社が質問していく。NHKだとか日経だとか一流のメディアである。各社の記者の質問で様々なことが明らかになっていき、全体像が見えてきた。記者の役割というものはそういうものであろう。しかし中には疑問に思う質問もあった。「心が痛まなかったのか?」とか「自分の娘だったらどう思うのか?」とか、質問というより感情(怒り)をぶつけているだけではないかという類である。質問をしたのは、「週刊女性」というよくわからないメディアだったから記者のレベルもそれなりだったのかもしれない。また別のメディアの女性記者も似たような質問をしていたから、女性ゆえに感情的になったのかもしれない。

 上記の質問については、「心が痛まなかった」などと回答できるわけではなく、答えはわかりきっている。「自分の娘だったら」という質問には、「怒ると思います」と社長は正直に答えている。その答えに何の意味があるのかと考えれば、愚問であると言わざるを得ない。その他の大手のメディアの記者はそれなりの質問をしていたから、記者のレベルの問題は各社の教育レベルの差かもしれない。あるいはこの手の事件の取材は男の方がいいのかもしれない。

 そう思うものの、上記に対する産経新聞のニュースの見出しは、『新成人裏切りも言い訳だけ 「経営判断ミス」詐欺認めず』というものであった。詳しく説明することは、すなわち自分がその時何を考え行動したかの説明になるわけで、当然正しいと思っていたわけであるから聞く方にしてみれば「言い訳」に聞こえるものである。「詐欺認めず」という表現には、「詐欺であるにも関わらず」というニュアンスが含まれていて、如何なものかという気がする。

 会見には弁護士が同席していて、警察に捜査に関することとか、着物を全て返すという約束とか、微妙な部分では割って入って補足説明をしていた。このあたりは弁護士ならではの役割だろうと思う。誰に雇われたどういう立場の弁護士さんなのか、ちょっと興味を持ったところである。質問を聞いていて瞬時に判断が求められるわけで、腕の見せ所かもしれないが、難しい仕事だと思う。

 それよりも「はれのひ」の社長が、袋叩き覚悟でこういう「針の筵」にきちんと出てきたという勇気は唯一褒められるところかもしれない。当然だろうと思う人もいるかもしれないが、これはかなり勇気のいることであるし、実際にその立場に追い込まれた時に一体どれだけの人ができるだろうかと思う。自分もかつて仕事で大失敗して、会社に行くのが辛い時があった。何とか行き通したが、この社長の場合、自業自得とはいえ記者会見は勇気のいることであったことは、そしてその勇気を遅ればせながら出したことは確かである。

 この社長ももう少し早く、少なくとも1ヶ月前に経営を断念して手を打っていたら、被害者の人の被害はお金だけで済んでいたかもしれない。その決断ができなかったであるがゆえの「針の筵」だから仕方がない。何はともあれ、個人的には「はれのひ」に対する悪意的イメージは払拭された会見であった。それとともにやっぱりマスコミのレベルに差があることも・・・

 そんなことを感じさせてくれた記者会見である・・・




【今週の読書】 
 生涯投資家 (文春文庫) - 村上 世彰 禅と生きる ―生活につながる思想と知恵 20のレッスン - 宇野 全智 SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 - フィル・ナイト, 大田黒 奉之





2018年1月25日木曜日

ギャンブル

新聞でチラリとギャンブル依存症の記事を見かけた。最近は何でもそれっぽい病名をつけたがる傾向にあるが、「依存症」が病気なのかは個人的に疑問に思うところである。それはともかく、ギャンブルで身を崩す人が多いのは事実だろうし、その気持ちもわからなくはない。正確に言えば、わからなくはないのは「やめられない事情」であり、「やめられない気持ち」ではない。

私も一時期もっと収入を増やしたいと株式投資を始めたことがある。それなりに勉強して、お金がなかったから信用取引を利用したが、見事に惨敗。カードローンで資金を賄い、その返済資金を作るためにまた勝負し、という繰り返しで損失を積み上げた。「返さないといけないお金がある」という事情ゆえ、「やめたくてもやめられなかった」のである。

しかし、そういう事情があればまだしも、純粋に「ギャンブルをやめられない気持ち」はよくわからない。それはそもそもギャンブルに興味がないのかもしれない。およそこれまでの人生で、競馬競輪等公営ギャンブルから、パチンコなどの民営ギャンブル、さらには宝くじや学生時代にみんながやっていた麻雀に至るまで、およそ賭け事には興味がない。

それは一つには「不健全」というのがある。競輪競馬は、最近は女性客を意識しているようだが、昔はガラの悪いおじさんたちばかりだったし、パチンコ屋の雰囲気も似たり寄ったり、タバコの煙にまみれた徹夜麻雀は言うに及ばず、だ。さらに勝率という点もある。パチンコは裏で出玉率がしっかり計算されているし、「買わないと当たらない」という宝くじの当たる確率は、サイコロを9回降って連続して同じ目が出る確率と一緒である

そんな私だが、ラスベガスだけは面白いと思った。何より健全な雰囲気だし、ハマったポーカーはギャンブルというより勝負だったし。最近は日本でカジノをという議論があるが、私は賛成派である。「犯罪の温床になる」とか「ギャンブル依存症が増える」とかいう反対論があるが、「犯罪の温床」なら競輪競馬、パチンコなどみんなに言えることだし、「依存症」も然り。健全な雰囲気を作り上げれば、ずっとマシだと思わざるを得ない。

銀行員時代にパチンコ店運営会社を担当したことがある。パチンコ店は新台の購入資金負担が大変で、ある時新台を購入せず旧台で頑張ればと聞いたことがある。その時は強い反対に遭い、お客さんは新しい機械を楽しみにくるのだと説明を受けた。私はパチンコに来る人たちを見ていて、みんな金目当てに思えて仕方がなかったから、「出ない新台より出る旧台」の理屈を説明したのだが、「素人考え」と一蹴されてしまった。今でも何となく疑問に思う。

それもこれも自分がギャンブルをやらない(からわからない)ためかもしれないし、多分そうなのだろう。よくよく考えれば、株もギャンブルのような気もする。「あれこれ勉強して株価の上下を予測し、それに賭ける」というところを見れば、ギャンブル的だとも言える。当たればその報酬としてお金がもらえる。その成果が金額の多寡と考えれば、ギャンブルにハマる人の気持ちも何となく理解できる。株なら高級で競馬なら低級などということはない。

仮に株がギャンブルだとしても、だからと言ってやっぱり競輪・競馬・パチンコの類はこれからもやらないであろう。何より予測の仕方がわからないし、わかりたい、勉強して覚えたいという気になれない。同じやるなら株だろう。今は、マンション管理士の勉強もあるから小休止しているが、いずれ再開したいと考えている。趣味と実益を兼ねたものとしては、やっぱり無視できないものがある。これに関しては、羹に懲りずにまたやりたいと考えている。

これは「依存症ではない」と、一応思うのである・・・




【今週の読書】
 生涯投資家 (文春文庫) - 村上 世彰 SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 - フィル・ナイト, 大田黒 奉之





2018年1月22日月曜日

論語雑感 為政第二(その17)

子曰。由。誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。
()わく、(ゆう)(なんじ)(これ)()ることを(おし)えんか。(これ)()るを(これ)()ると()し、()らざるを()らずと()す。()()るなり。
【訳】
先師がいわれた。由よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、素直な態度になる。それが知るということになるのだ
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この言葉を読んで真っ先に思い浮かんだのは、ソクラテスである。ソクラテスの「無知の知」は、まさに「私は知らないということを知っている」というもので、孔子が説く「知らないことは知らない」とほぼ同意である。ともに紀元前400年頃の同時代の人であり、ギリシャと中国という距離を考えたら、どちらかの説を聞き知ったということはないであろうから、たまたま東西の思想家が同じようなことを語ったのであろう。

小さな子供に問いかければ、知っていることは元気に「知ってる!知ってる!」と言うし、知らなければ声も小さく「知らなぁ〜い」と答える。我が家の子供たちもそうであったが、実に素直である。ところが大きくなるにつけ、だんだんと「知ったかぶり」をするようになる。知らないと言うことが恥ずかしいことに思うのか、言ってみれば「見栄」ではないかと思うのだが、そういうものが出てくる。洋の東西で、同じようなことが語られるということは、それが長い年月を経ても変わらぬ人の性なのかもしれない。

この言葉(正確に言えばソクラテスの「無知の知」の方)を知ってから、自分としてはなるべく「知らないものは知らない」と言うようにしている。私も一人前に見栄というものがあり、「知らない」と答えるのは屈辱的な感じがするが、むしろ知ったかぶりをして、後でそれがバレた時の方が余計に恥ずかしいし、そう考えることで素直に「知らない」と言えていると思う。もちろん、知っているつもりだったが、実はそれは間違っていたというケースもなくはないが、意識の中ではできていると思う。

よくよく考えて行くと、「知らない」と言えないのは、やっぱり「見栄」だと思う。そしてこの「見栄」というものは、誰にもあるものであると思う。見栄というのは、少しでも自分を良く見せたいという思いであり、それは積極的なものと防衛的なものとであると思う。積極的なものとは「良く見せたい」というものであり、防衛的なものとは「悪く見られたくない」というものである。「見栄など張らない方がいい」のは誰でも知っていると思うし、「あなたは見栄っ張りですか?」と問われて、「はいそうです」と答える人はそんなにいない気もするが、人は誰でも少なからず見栄っ張りであると思う。

例えば、三年前、私は大手の銀行を辞めて社員わずか10名の中小企業に転職した。中小企業というより、零細企業かもしれない。以後、意識しているのは「それを積極的に言う」ということである。勤務先というのは、どうしても男の肩書きのようなところがあり、特に私のように大学の先輩後輩同期はほとんどが大企業に勤務していると、自然と引け目のように感じることがある。同期の友人でも大企業の部長職にあったり、関連会社の社長だったり、官庁の課長だったりとそれなりの地位についていたりするとなおさらである。

しかし、それを卑屈に感じて隠すと却ってみっともないと思う。ならば堂々と言った方が勝ちだと思う。後で知らないとバレる方が恥ずかしいのと一緒である。正直言ってそれも見栄である。会社内でも、自分は不動産業界では新人であり、基本的なことを知らないことは多い。その都度教えてもらっているが、「知らない」と言うのは苦痛ではない。なぜなら、業界の慣習など知らなくても恥ずかしいことではないし、自分には金融機関勤務で得た知識等、逆に誇れるものもある。だから不得意分野で見栄を張る必要もないという考えである。

結局、自分は捨てきれない見栄もあって、それを捨てることは多分無理であるが、考え方を変えることによって捨てるのと同じことができると思う。「これは知らないけど、別の分野ではあなたより詳しいよ」というものがあれば、見栄は維持できる。大企業をやめてベンチャー企業を創業した気分で語れば中小企業勤務も恥ではない(実際、会社を動かしている自負がある)。そういう「江戸の仇を取れるところ」があることが、「知らない」と素直に言える拠り所のような気がする。

見栄は悪いものではないと思う。それよりも常に自分の拠り所となるものをしっかり持って、「負ける余裕(=知らないと言う余裕)」を持てたらいいなと思う。
これからも、胸を張って「私は知らない」と言い続けたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 生涯投資家 (文春文庫) - 村上 世彰 羊と鋼の森 (文春文庫) - 宮下 奈都





2018年1月17日水曜日

情熱

毎朝の通勤電車で読む本はビジネス系と決めているが、今週はちょうど『人生の勝算 という本を読み終えたところである。「SHOWROOM」というネットサービスを創業し運営している会社の社長さんである。読んでいてまだ29歳ながらすごい人だなと感心してしまった。とにかく仕事にかける執念が凄まじい。新卒で外資系証券会社に入社し、トップの成績を収めていたらしいが、ほとんど24時間働いているイメージである。

その勢いは既に就活時の話に現れていて、創意工夫と熱意とがほぼすべてにわたってみなぎっている。その勢いで創業に至ったようであるが、ご本人はその原動力を「モチベーション」または「エネルギーの量」と表現している。それは知識でも技術でも資格でもないと言う。それを読んでいて思わず納得してしまった。それはあらゆることにわたって言える真実だと思うからである。

 かつて、シルベスター・スタローンが無名の頃、『ロッキー』を映画化したくて脚本を書いて映画会社を回ったそうである。ところがどこも見向きもしてくれない。挙句、別の俳優(ポール・ニューマンだったとか)主演でどうかと大金を積まれたが、自らの主演に拘って信念を通し、ついに映画化にこぎ着け、アカデミー賞に輝く大成功を収めた。おそらくそれまでの苦しい間、己の信念を支え続けたのは映画化に向けた「執念」だろう。

 アントニオ猪木が、当時老舗だった日本プロレスを追放され、わずかな仲間たちと新日本プロレスを立ち上げた時の話も印象深い。外国人レスラーのルートは抑えられ、いつ倒産するかという瀬戸際で団体を維持し続けた。自宅を道場に改装し、細い伝手を頼って外国人レスラーを招聘し、リングで熱い戦いを見せ続けた。外国人レスラーの招聘ルートやスタッフやレスラー仲間らすべて整った状態で創業したジャイアント馬場の全日本プロレスとは対照的である。現在新日本プロレスは業界最大手であるが、苦しい創業期を乗り切ったアントニオ猪木を支えたのはやっぱり「執念」だったのだろう。

 自分自身を振り返ってみると、そんな有名人ほどではないが、自分なりに苦しい中「頑張ったな」と言える経験がある。高校を卒業して宅浪していた1年間がその時で、受かるか受からないかという不安の中、周囲の反対を押し切って予備校へも行かず、110時間の勉強ノルマを自分に課して無事第一志望に合格した。「予備校に行った方が良いのでは」「志望校のランクを落とした方が良いのでは」という声に抗って初志貫徹できたのは、やっぱり「執念」だった。

 「モチベーション」なのか「エネルギー量」なのか「執念」なのか。言葉は違えどその本質は同じものだと思う。一番ピッタリくる言葉は、「情熱」ではないかと思う。自分の目指すものにどれほどの心血を注ぎこめるのか。その熱さこそが、知識や技術を超える原動力になると思う。資格を取る前に考えなければならないのが、自分にはどれだけの情熱があるかということだと思う。『人生の勝算 の著者である前田裕二氏にはそれが溢れている。

 自分の人生を振り返ってきて、一番反省させられるのが、社会人になってから仕事に情熱を持たなかったことである。今もそれほどあるとは思えないが、それでも今の半分でも仕事に投じていたら、確実にもっと違う会社員人生を送っていただろう。そこまで意識がなかったのが悔やまれるところである。今からでも残り少なくなりつつある社会人人生を充実するためにも、情熱を持って仕事を進めていきたいものである。

 今年の目標は「心と体を鍛え直す」であるが、仕事に加えてそれ以外にも情熱を持って取り組めるものを増やしていきたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 スタンフォード式 最高の睡眠 - 西野 精治 望みは何と訊かれたら (新潮文庫) - 真理子, 小池





2018年1月14日日曜日

家康遺訓

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。                                       
徳川家康
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今年の初め、どんな心構えで1年を過ごそうかと考えていた時、ふと心に浮かんだのが徳川家康の遺訓。覚えていたのは一部だったが、改めて全文を調べてみると上記の通り。一つ一つが重みのある言葉だなぁと改めて思わされる。

初めてこの遺訓に触れたのが、小学校の時に移動教室で日光に行き、お土産を買った時である。何だったか忘れてしまったが、そのお土産に刻んであったのである。小学生なりに意味は理解できたが、実感として最初に感じたのが大学に合格した時だった。小学生の頃、友人たちの間で「頭がいい」と評判だったのがG君。家には参考書が並んでいて、当然勉強もできた。G君の家で世の中に参考書なるものがあると知って、刺激されて自分も買ったのを覚えている(あまり活用しなかったが・・・)

そのG君、「天才」の評判に違わず、私立の中学に進学して行った。公立を歩んだ私とはそこで別々の道を行くことになり、それ以来会っていない。風の噂にG君が大学に進学したことを知ったが、それは東大ではなく、中高一貫の私立大学であった。その大学なら、私でも楽に合格できたところであり、その時小学校の時に勉強ができてもあまり関係ないのだなと思ったものである。世のママたちが子供の将来を考え、やれ幼児教育だ、お受験だなどと言っているのを白けた目で見てしまうのはそういう経験があるからである。

サラリーマン時代には、やたらと不平不満を漏らす同僚がいた。サラリーマンには珍しくない。しかし3年前、転職に伴って半年近く失業状態であった時、仕事があること、毎月給料がもらえることのありがたさを実感した。不平不満を言うサラリーマンは、一度失業するといいと思う(幸い、自分はそんな不平不満リーマンではなかった)。そして社会の中では、何より人間関係が大切であり大変である。そんな人間関係で大事なことも歌われている。

怒りは敵、勝つことばかりではダメ、人を責めるな、いずれも人と一緒に仕事をする上では大事な戒めである。怒りは自分から冷静さを失い、感情に任せた物言いは相手の気分を害する。相手が上司なら自分の評価に影響するし、部下ならいいと言うものではないのも当然。時には折れて相手を立てることも大事だし、たとえ部下のミスだとしてもそのミスを起こさせないような仕組みを作れていたかと自分に問えば、それはそのまま自分の力量アップにつながる。もちろん、部下からの人望にも影響するだろう。

最後の言葉は、ケースバイケースである。お客様に提供するサービスなどは、むしろ「過ぎたる」があるべき姿だろう。そうではなくて、人間性の修行や目標など自分に関する類であれば、「自分はまだまだ」と思うことが必要だろう。そう解釈すれば、素直に心に入ってくる。特に人間は天狗になりやすい。少しうまくできると、自分はできる人間だと思いがちである。常に目線を高いところに置いて日々を過ごしたいものである。

年初に当たって、どんな心構えで過ごすべきかと考えてみると、この遺訓は実に心にフィットしてくる。実はこの遺訓は家康のものではないらしいが、まぁそんな些細なことは気にすべきではないだろう。いかにも家康のイメージにフィットしているし、家康のものであろうとなかろうと、今の自分にしっくりくることに関しては間違いない。人によって、「かくありたい」と思う姿は様々だろうが、今現在の自分が意識しなければならないことはまさにこの遺訓通り。今年はこの遺訓を胸に、1年を過ごそうと思うのである・・・ 




【今週の読書】
 人類は絶滅を逃れられるのか―――知の最前線が解き明かす「明日の世界」 - スティーブン・ピンカー, マルコム・グラッドウェル, マット・リドレー, 藤原 朝子 望みは何と訊かれたら (新潮文庫) - 真理子, 小池




2018年1月11日木曜日

年賀状

仕事では、まだまだ「おめでとうございます」などと挨拶をしているが、それを除けばもう正月気分はかけらもない。この時期、ようやく年賀状の記録を終えて、もらった年賀状の整理を終えた。毎年毎年、いろいろな年賀状をもらうが、ここ3年ほど自分の出す年賀状は自分の近況を書くタイプだ。以前は家族の写真を載せ、差し出す相手一人一人にわずかなコメントを書いて出していたが、今はコメントもほとんど書かなくなっている。コメントを書かないのは近況報告があるためでもあるが、面倒だからでもある。

思えば、子供の頃は年賀状が苦痛だった記憶がある。人によっては凝った版画を作ったりしていたが、自分にはそんな才能なかったし、デザインを考えるのが何よりも苦手だった。あの頃どんな年賀状を出したのかなんてもう覚えてはいないが、大変だったことだけは記憶に残っている。そんな年賀状だが、もらうのは悪くない。大半の人は日頃ご無沙汰しているので、何となくその人を思い出すタイミングになっている。もらうのは悪くないが、中にはやっぱり考えてしまうものもある。

一つは会社関係だ。日頃、毎日顔を合わせていて、新年早々に会うのにわざわざ年賀状を出し合うのはどうかと思う。もらえば出さないといけない。会社の何人かとはそんな「付き合い」で出し合っている。それが職場が変わっても続いているのがいまだにある。もう15年以上一度も会っていないが、年賀状だけ続いている昔の同僚である。何となくタイミングが合ってお互いにやめた人もいるが、続いている人もいる。「いつまで」という気持ちと「年賀状くらい」という気持ちが交差している。

今年いただいた年賀状をチェックしていると、こちらから出したのに2年続けて来ていない人がいた。これはたぶん、「やめましょう」というメッセージなのかもしれないと思ってみる。目上の方だとこちらからやめるのは失礼な気がするが、相手がやめるのならそれに合わせれば気が楽である。あるお世話になった方からは、すばり「今年で最後にしたい」と年賀状に書かれていた。たぶん人徳のある方だから、仕事の付き合いが途切れた人からも年賀状はたくさんもらっていて、そろそろリタイア年齢でもあって一区切りつけたいのかもしれない。

そうした「お付き合い」の年賀状が減るのは構わないと思うが、友人関係はやはり続けていきたいと思う。一枚一枚年賀状を読みながら、「今年は飲みに誘ってみようか」などと思うのである。Facebookで近況がわかっている人はともかく、年に一度ご無沙汰している友人の顔を思い出すには、年賀状はいい機会となっている。しかし、やっぱり将来的には(少なくとも「はがき」という形態では)廃れていく習慣に思えてならない。

「面倒だ」という思いは拭いきれないものの、やはり友人たちとのつながりは大事にしたいし、年賀状はそのために必要な交流手段としておきたい。世間的には廃れようと、個人的には友人たちのところは維持していきたいところである。そんなことをつらつら考えていると、今年はご無沙汰している友人たちの何人かにはこちらから積極的に連絡をとって飲みに行こうかという気になった。頭に浮かんだ何人かの友人に、さっそく連絡してみようと思うのである・・・




【本日の読書】
 人類は絶滅を逃れられるのか―――知の最前線が解き明かす「明日の世界」 - スティーブン・ピンカー, マルコム・グラッドウェル, マット・リドレー, 藤原 朝子 望みは何と訊かれたら (新潮文庫) - 真理子, 小池





2018年1月7日日曜日

論語雑感 為政第二(その16)


子曰。攻乎異端。斯害也已。
()()わく、()(たん)(おさ)むるは()(がい)あるのみ。

【訳】
先師がいわれた。異端の学問をしても害だけしかない
*************************************************************************

基本的に論語は、2,500年の時を経ても今なお残っている真実として重みのある言葉と理解しているが、今回のこの言葉はなかなか解釈が難しい。というのも個人的には、学問でも宗教でも学ぶ人信じる人はそれぞれであり、それを否定するべきものではないと思っているからである。ここで言われる「異端」が何を指しているのか、それによって理解は変わるものだと思う。

専門家の解釈もどうもはっきりとしたものがあるわけではないらしい。孔子の時代には、「異端」には何か現代とは別の意味があったとか、あるいは隠された意味があるとか、当時の独特の言い回しがあったとか、そこには2,500年の壁があるのかもしれない。信じるものは自由とは言え、テロを正当化する過激派思想などはやっぱり排除されるべきだろうが、そういう極端なものでない限り、「害だけしかない」と言い切るのは疑問である。

学問の世界で学説が対立するというのはよくあることである。それを異端と決めつけるのは、よほど確たる根拠がなければ難しいし、逆に確たる根拠があればそれを信じる人はいなくなるだろう。今では地動説を信じる人がいないのと同じである。当時、ガリレオの天動説が異端とされて排除されたが、それが正しかったかどうかは明らかであり、そういう一例を取ってみても「害だけしかない」と断ずることはできない。

これに対し、歴史の「異端」はどうなんだという気がする。「慰安婦問題」や「南京事件」を巡る事実認定は、日本(一部メディア等は除く)と韓国・中国では異なる。ただまぁこれは「学説」というより「捏造」なので、「異端の学問」とは言えないかもしれない。ただ、盲目的に信じている人にとってみれば、それはやはり歴史の真実であるだろうから、立派な歴史ということなのかもしれない。個人的にこれは害しかないと思うし、結果的に私の嫌韓感の根拠になっていることからすると、やっぱり「害がある」と言えるかもしれない。

私の愛読書である『逆説の日本史』シリーズは、歴史学界の見方に異を唱えているので、歴史学界の人たちから見れば「異端」なのかもしれない。ただ、だからと言って排除されてしまうと、歴史学の進歩は閉ざされてしまうだろうし、読書の楽しみも減ってしまう。「異端」だと思っても、受け入れる土壌は必要だろうと思う。

もしもこうした排除が正当化されると、「異端」に対する「正当」のみしか認められなくなるし、学問に対するこうしたスタンスは、広く行けば「意見」にも及び、それはすなわち「異論」に対する排除になるやもしれない。様々な意見があって、それを交わすことによって理解が深まったりするものであるし、それは学問においても同じだと思う。

そうした「異端」を排除しないことも大切だと思うが、さらに言えば理解する努力も必要な気がする。自分の考えと合わないからという理由で学ぶことをやめてしまうのではなく、一旦学んで理解した上で、「自分の考えに合わなければ採用しない」というスタンスが必要だと思う。それでこそ、それまで気づかなかったことに気づいたり学んだりすることができるのだと思う。

孔子の説いた真意は素人の私にはわかるべくもないし、従って表面だけの理解で批判するのもおかしいと思う。論語の言葉の中には理解の難しいものもあるとし、所によっては自分はこう考えるというスタンスで理解したいと思うのである・・・




 【今週の読書】
 12歳の少年が書いた 量子力学の教科書 - 近藤龍一 望みは何と訊かれたら (新潮文庫) - 真理子, 小池





2018年1月3日水曜日

2018年新春雑感

2018年が始まった。元旦は、小学校6年の息子と妻は所属している少年野球チームの行事で初詣兼新春マラソンで一足先に出かけて行く。高校2年の娘は夢の中。昨年同様、近所の神社への初詣に1人で行く。寂しいがこれも仕方ない。神様の前で心を落ち着けて手を合わせ、頭を垂れる。謙虚になれる瞬間である。そして今年の破魔矢を買って帰宅。例年通りの幕開けである。

午後から娘と息子を伴って実家へ。弟は1人で来ている。やはり子供が成長するとこういう形になって行くのかもしれない。ただ、将来子供達にいろいろと用事が出て来たとしても、やはり正月くらいは祖父母に顔を見せるくらいの事はさせたいと思う。子供達は両親と叔父さんからお年玉をもらう。親戚の少ない子供達を気遣ってくれたのか、両親がそれぞれお年玉をくれたのは子供達にとって嬉しい誤算だったかもしれない。

このお年玉であるが、いつも読んでいるちきりんのブログに『全国の子供たちに告ぐ:お年玉はソッコーで使うべき!というエントリーがあって、興味深く読んだ。お年玉は昔から「貯金せよ」と言われて育ち、それが当然だと思っていたが、こういう考え方もあるのだと感心した。むしろ、その通りだと思う。大人にとっての5千円と子供にとっての5千円の価値は同じではない。ならばその価値が最大限である今のうちに使ってしまえと思うが、帰宅早々妻にお年玉の申告をさせられ、強制的にまっすぐ銀行口座行き。妻に5千円の価値観を説くのは永遠に不可能だろう。

翌日は1人再び実家へ。弟もやって来て「家族水入らず」。子供の頃は当たり前だった風景だが、昔と違うのはワインや焼酎が食卓の上にあることだろう。考えてみれば、あの頃の正月の風景がどんなだったかなんてもうすっかり忘れてしまったが、形を変えて復活したのはこれはこれでいい正月だったかもしれない。あの頃は親の苦労なんて考えてもみなかったなぁと思ってみる。

一晩泊まって帰宅したが、母は帰る直前まであれこれと持たせてくれようとした。息子が五十を過ぎた今でも「子供は子供」なのかもしれない。玄関を出て、駅に向かって歩き出す。しばらく歩いてふと気配を感じて振り返ると、母がまだ玄関に立って見送ってくれていた。暗い中、シルエットのみの母の姿にじんわりとしてくるものがある。自分は果たしていい息子だったのだろうか。後から後悔したくはないし、そうならない様、今年はマメに(具体的には月2回だ)実家に顔を出そうと決めた。せめてそのくらいのことはしたいと思う。

明日は大学時代のラグビー部の同期との集まりがある。今年の目標の一つとして、「長く会っていない友人たちと会おう」と決めた。高校時代の友人や社会人になってからの友人たちのうち、年賀状だけの関係になってしまっていたり、気が付けば長く会っていない友たちがかなりいる。今年はそんな友人たちと会う機会を作りたいと思う。
心と体を鍛え直し、人との結びつきをつなぎ直す。今年はそういう1年にしたいと思うのである・・・