2017年11月15日水曜日

論語雑感 為政第二(その13)

子貢問君子。子曰。先行其言。而後從之。
子貢(しこう)君子(くんし)()う。()(いわ)く、()()(げん)(おこな)い、(しか)(のち)(これ)(したが)う。

【訳】
子貢が君子たるものの心得をたずねた。先師はこたえられた。君子は、言いたいことがあったら、まずそれを自分でおこなってから言うものだ。
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「君子たるもの」を説く論語の言葉であるが、この言葉は「率先垂範」と言えるだろうか。もちろん、これはどこも間違っていないし、リーダーたる者の必要な心得であると思う。率先垂範がなぜ必要かと言うと、それはやはり「口ばっかり」のリーダーでは誰もついて行こうと思わないからだろう。人に「やれ」と言うだけでは、特にその内容が大変だったりすると余計である。

銀行を辞め、今の会社に転職してきた時、社長からは「現場にも出て欲しい」という話があった。それはもとより望むところだったので、内装工事の現場にも足を運び軽作業を手伝ったりした(技術を伴う作業は当然ながらやりようがない)。また、会社では毎朝全員で掃除をしているが、あえて時間のかかる作業と隔日でトイレ掃除を引き受けた。「率先垂範」というより、「口だけではない」ということを示したくて面倒な仕事を引き受けたのである。

さらに、入居者が退去したあとのルームクリーニングも自社でやっているが、その作業にも参加。こちらは難しい技術は不要で、手順を覚えれば見よう見まねでできるものである。さらにYouTubeを検索すれば、いまはご丁寧にその道のプロなどが解説動画を公開してくれている。覚えようと思えば簡単である。立場的には「役員」であって、机に座って指示だけ出していてもいいのだろうが、やはり現場に出ることによる目に見えぬ効果はあると思う。

先日、元セブン&アイホールディングス会長鈴木敏文氏の『わがセブン秘録』という本を読んだが、その中で震災時のエピソードが語られていた。被災地に物資を運ぶにあたり、ドライバーが確保できないという報告をしてきた部下に対し、「君たちが行かないのなら私が行く」と言ったという。さすがに会長に運転はさせられないと判断しただろうが、これも一種の率先垂範だと思う。

こうした率先垂範は、困難な物事だったり、面倒だったりするものほど有効だろう。そういう事をただ「やれ」と言われても、内心抵抗感が生じるが、リーダー自ら率先してやられたら嫌とは言えない。「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」(山本五十六)ではないが、人に何かをやってもらおうと思ったら、大事なことだと思う。

一方、ちょっとズレるが、「言ってることとやっていることが違う」というのは避けたいところである。私も家ではよく「電気の点けっぱなし」を妻に注意されるが、そういう妻はよく夜中に気がつくとリビングで電気を煌々と点け、さらにはテレビとエアコンまで点けたまま高鼾で寝ていたりする。私のちょっとした電気の消し忘れよりよっぽど電気料金への影響は大きいと思うが、家庭内の平穏維持のためには指摘などできるわけもなく、あえてグッと飲み込んでいるが、当然不満は残る。

考えてみれば、何でもそうだが人にものを言うということは「責任」を伴うわけであり、言葉と行動とが一致していないとその言葉は説得力を持たない。自ら語る言葉に説得力を持たせられるかどうかは、結局その人自身の行動ということになる。2,500年の長きにわたって伝わっている論語の、これもまた真理を表す普遍の言葉なのだろう。その真理に基づいて、自らの言葉と自分自身に説得力を持たせられるように自分もありたいと改めて思うのである・・・





【本日の読書】
 
   

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