2017年6月30日金曜日

中国の進出

先日のこと、いつものように毎週末恒例の映画として『トリプルX:再起動』を観始めた。するとクレジットには中国系の映画会社の表示があり、冒頭に出てくるサミュエル・L・ジャクソンとネイマールが会話をしている場所は中華レストランであった。それを見た瞬間、「ああこの映画もか」と思ってしまった。最近、中国系資本のハリウッド進出が目につくようになってきていると感じているからである。

映画自体はハリウッド制作で、主演はヴィン・ディーゼルなのであるが、レストランの他には準主役級で香港俳優のドニー・イェンが出演していることも含め、かなり中国臭のある映画であることは間違いない。また、2015年の映画『オデッセイ』では、火星に1人取り残された主人公を救助するためNASAがロケットを打ち上げようとして失敗するシーンがある。このNASAのピンチに救いの手を差し伸べたのは中国のロケット。そしてその協力もあって何とか火星に救助船を送れたのである。単に名前だけPRするのではなく、技術力も誇っているかのようなシーンであった。

さらに2016年の映画『インデペンデンス・デイ リサージェンス』では、主人公の向こうを張って登場する女性パロットは美人の中国人であった。数え上げればキリがないが、何となく中国が意図的にハリウッド映画に進出しているような気がする。日本人や日本がハリウッド映画に登場するのももちろんあるが、それとはちょっと違う気がしてならない。

詳しい裏事情を素人が知る由もないが、かつて日本がバブル景気で浮かれていた頃、アメリカのメジャーな不動産を次々と購入してその勢いを誇示し、顰蹙を買った日本勢。今、我が国に代わり世界第2位の経済大国となった中国がアメリカでやっていることは、顰蹙を買いそうな不動産投資ではなく、好感度を育みそうな文化投資(とでも言うようなもの)のような気もする。気がついたら、いつのまにか中国に好イメージを抱いているという戦略である。

そう言えば、我が国からアメリカへ留学する人が激減しているのを横目に、今中国人留学生が激増しているそうである。そうした留学生が得るのは知識ばかりでなく、人脈。今アメリカ人を友人に持つ中国人が増えているという話も聞いている。資本主義と共産主義という国家体制の違いはあれど、友人の数から言えば我が国より中国の方が多いということは、何となく背筋が寒くなるものがある。

中国がこうしたアメリカ進出を前向きな理由(もちろん「我が国から見て」であるが)であれば問題はないが、尖閣諸島でいまだ火種がくすぶっている状態であるし、ここで最大の障害であるアメリカを手なずける遠大な戦略だとしたら恐ろしいものがある。これが素人の邪推であれば良しであるが、どうなんであろうと思う。

それにしても、エンパイアーステイトビルを買って有頂天になっていた国と、映画界に進出してイメージアップを図る国と、同じ進出意図があってやっているとしたら、その差は歴然である。我が国も唯一ハリウッドで頑張っているソニーピクチャーには、是非とも我が国のイメージアップになるような作品供給に期待したいと思ってしまう。

 まぁそんなよくわからない裏事情などを気にすることなく、映画は映画で何の気兼ねもなく楽しみたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 やり抜く力 - アンジェラ・ダックワース, 神崎 朗子 1984年のUWF (文春文庫) - 柳澤 健




2017年6月25日日曜日

論語雑感 為政第二(その4)

子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。
()(いわ)く、(われ)十有五(じゅうゆうご)にして(がく)(こころざ)す。三十(さんじゅう)にして()つ。四十(しじゅう)にして(まど)わず。五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)()る。六十(ろくじゅう)にして(みみ)(したが)う。七十(しちじゅう)にして(こころ)(ほっ)する(ところ)(したが)いて、(のり)()えず。
【訳】
先師がいわれた。私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分の精神的立脚点を定めた。四十歳で方向に迷わなくなった。五十歳で天から授かった使命を悟った。六十歳で自然に真理をうけいれることができるようになった。そして七十歳になってはじめて、自分の意のままに行動しても決して道徳的法則にそむかなくなった。
                                                                                                      (WEB漢文大系) 
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今回の言葉は、おそらく論語の中でも最も有名な言葉だろう。中でも「四十にして惑わず」は、「不惑」という言葉として定着している。時代が違うから同じような比較はできないかもしれないが、それでも考えてみるべきことはあるのかもしれない。そう思って、改めて考えてみた次第である。

「十五にして学に志す」とは、多分「学問の世界に生きる」と決意したことだろうと思う。将来の進路を決めたことだろうし、それはすなわち「職業の選択」に他ならないだろう。現代日本では、義務教育を終える頃で、そろそろ将来のことを考え始める時期である。まぁ時期としては同じだと言えるが、自分自身を振り返ってみても、また今まさに迷いの森に迷い込んでいる高校生の我が娘を見ても、この時点ではっきりこれと決めるのは難しいかもしれない。今の日本には、猶予の選択肢がいろいろとあるし、今の日本社会でいけば「二十二」くらいなのかもしれない。

有名な「四十にして惑わず」は、今日のお昼に何を食べようかといった些細な問題ではなく、もっと根本的な、自分の生き方についてのようなことだろう。この年頃になると、自分の行く末のこととか、家族のこととか、住居のこととかいろいろと迷う要因はたくさんある。ただ、根本的な「考え方」という意味では、もう固まっている気がする。私自身で言えば、当時勤めていた銀行での行く末がある程度見えてしまっていて、先々しがみつくより転職しようと考え準備を始めていた頃であった。そしてそれは実際に転職した今、役立っている。その時の「決断」は早かったし、迷いはなかったのも考え方が固まっていたからだと思う。

迷わなくなれば、自分がやってきた事をある日ふと振り返り、「あぁこういう事だったのか」と思う事があるかもしれない。まさにそれが「天命」なのかもしれないが、五十を超えた今もそうした天命に気がつく気配はない。まだ人間修行が足りないのかもしれないし、天命と言えるような事を一貫してやっていないのかもしれない。どうなるのかはわからないが、「これが天命だ」と人様に語れるようになるためには、背筋を伸ばして生きていないといけないと思うので、それは意識したいところである。

その先に「耳従い」、さらに「心の欲する所に従えども矩を踰え」ないようになれるのかはわからない。ただ、何となく目の前の事象を受け入れる心理はわかるような気がする。人間悩んでもどうにもならないこともある。それが相手のある事なら尚更であり、自分が長年理想としてきた状況から否応なく遠ざかることもあるだろう。それはそれで仕方ないと受け入れるのである。若い頃は、何とか努力して、あるいは知恵を絞って何とかならないものかと奮闘するが、ある程度の年齢を経ると、それを受け入れられるようになるのである。結婚生活などはその最たるものである。

若い頃は、目の前に無限の選択肢と未来がある。それがゆえに、無限の選択肢を前に呆然と立ち尽くすが、時を経て自分自身も様々な経験を積み、そして考え方も確立して行く中で、気がつけばいつの間にか己の歩いてきた道が一本の道となっている。そんなイメージだろうか。孔子が当時としては異例の長寿を全うしながら辿り着いた境地を理解しようとするのは難しいのかもしれない。自分自身とすれば、天命どころかいまだ不惑にすらたどり着けていないのかもしれないと思ってみたりもする。これから先、残りはいよいよ少なくなって行くわけだし、改めて悔いなく日々を過ごしていくためにも、迷わず進めるようなしっかりした考え方を身に付けたいものだと思うのである・・・





【本日の読書】

 あなたの人生の意味 下 ((ハヤカワ文庫NF)) - デイヴィッド ブルックス, David Brooks, 夏目 大 応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) - 呉座勇一




2017年6月21日水曜日

動画配信の時代

ダ・ゾーンに追い込まれるスカパー 「ブンデス」では反撃へ
スポーツ動画配信サービス「DAZN(ダ・ゾーン)」を手がけるパフォームグループは15日、欧州サッカー連盟(UEFA)が主催するCL(チャンピオンズ・リーグ)など3コンテンツの日本での独占放映権を獲得したと発表。次の次のシーズンにあたる201819年シーズンから3季にわたり、CLのほかヨーロッパリーグ、スーパーカップを日本で放映する。長くCLファンを抱えてきたスカパーから奪った形となる。
一方で、ダ・ゾーンが歓迎される理由もある。契約すればスマートフォンやパソコンでも動画をみられる。ネット接続するスマートテレビさえあれば、これまで通り自宅のテレビでも楽しめる。家族でチャンネル争いをしなくてよくなるなど、動画配信ならではの良さもある。月額料金はスカパーより動画配信の方が安く家計に優しいのも特徴。
2017/6/16 16:15日本経済新聞 電子版
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 ふだん、“ラグビー派”の私はサッカーなどには興味の欠片もなく、したがってニュースも試合も観ることはない。だからCLがどうなろうと興味はないのであるが、ただこうした流れは今後いろいろと出てくるだろうなとは思う。今はラグビーについてはケーブルテレビでいろいろと観られるし(ただ、ヨーロッパの六か国対抗だけはWOWOWに移行して観られなくなってしまったが)、動画配信までなくても済んでいるが、そのうちもっと人気が出れば変わるかもしれない。

 動画配信は、映画については良いと思うし、今はツタヤディスカスでDVDをレンタルしていて(月8枚まで郵送)、その他に動画配信でも観ているが、いずれすべて動画配信になるのだと思う。DVDだと郵送期間と枚数の制限(1度に2枚しか配達されない)とでロスが発生しているが、そうしたロスが動画配信では解消されるからである。動画配信は、「観たい時にいつでも観られる」というメリットが何より大きい。

 また、動画配信のもう一つのメリットは、「パソコンで観られる」ことだろう。我が家でチャンネル選択権を持たない我が身としては、毎週末の映画タイムはもっぱら愛用のMacである。これはDVDも動画配信にも対応しており、画面もそこそこ大きいので今は快適に映画を楽しめる。たとえ観られるとしても、スマホではあまり観たいとは思わないから構わないが、パソコンで観られるのは確実なメリットである。

 映画については、これからますます便利になると思うので、それに合わせていけばいいと思っているが、冒頭のニュースでは改めてスポーツに関する問題に気がついた。それは、配信元によっては観られなくなるというものである。ダ・ゾーンがCLを奪ったことにより、これまでスカパーでCLを観ていた人は観られなくなったわけである。なら「ダ・ゾーン」と契約すればいいではないかと言うと、事はそう簡単ではない。

 たとえば私の好きなラグビーでは、ワールドカップをはじめとして、各国別のテストマッチや、六か国対抗のような地域対抗、国内の高校、大学、社会人の試合、最近ではスーパーラグビーなどの各試合があって、いままではすべてケーブルテレビのJスポーツで観戦できたが、WOWOWに取られたことで六か国対抗だけ観られなくなってしまった。そのためだけに、WOWOWと契約するのも嫌なので、諦めざるを得ない。映画の世界ではこういうことはないので(どこでも同じ映画が観られる)、これはスポーツ中継のリスクだとあらためて気が付く。

 世の中便利になっていくのは大歓迎だが、スポーツ中継を巡って各局で争うのは勘弁してほしいと思う。JスポーツならJスポーツで、同じスポーツの各試合を観られるというのが理想的である。あるいは独占中継を禁止してもらったら、それでもありがたいかもしれない。それにしても、そうした動画配信が主流になっていったらテレビはどうなるのだろうという疑問が残る。「観たい時に観たいものだけを観られる」という動画配信のメリットは大きい。CMが入るテレビは映画もスポーツも分が悪い。(だから映画とスポーツで動画配信が先行しているのかもしれない)

 テレビも番組によっては「オンデマンド」の配信が始まっている。だが、いまのところテレビでタダで見られる番組をわざわざお金を払って見る必要性は感じない。人気ドラマなんかだと、見落とした人が見たいというニーズはあるかもしれないが・・・
とはいえ、いずれテレビにも動画配信の流れは押し寄せるのかもしれない。そうしたらチャンネル選択権のない私でも、家族が見ていない時間を利用して見ることはできるのだろう。ちょうど今、録画で『ガイアの夜明け』や『カンブリア宮殿』を見ているように。

どんな未来があるのやら。どんな未来であったとしても、私にも便利な未来であってほしいと思うのである・・・




【本日の読書】
 あなたの人生の意味 下 ((ハヤカワ文庫NF)) - デイヴィッド ブルックス, David Brooks, 夏目 大  応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) - 呉座勇一




2017年6月18日日曜日

豊洲移転問題

小池氏、週明けにも豊洲移転表明へ 築地も活用方針
小池百合子・東京都知事は、築地市場(東京都中央区)を豊洲市場(同江東区)に移転する方針を固めた。週明けにもその方向性を表明する。豊洲市場の土壌などの汚染対策を拡充し、安全性を確保する方針。一方、築地市場については、市場機能移転後も「築地ブランド」を生かす方策を検討している。
6/17() 18:35 朝日新聞デジタル
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すったもんだしている築地市場の豊洲移転問題であるが、ようやくここにきて動きがあるようである。この問題、一般都民の立場からするとわかりにくいことこの上ない。都民として無関心を装うつもりはないが、何がどうなっているのかわからない以上、何とも考えようがない。そもそも移転するかどうかという問題は別として、もう移転が決まっている以上、「安全なら移転」「安全でないなら移転中止」と考えれば実に簡単である。実際の安全性はどうなんだろうと思わざるをえない。

その疑問は、実にシンプルであるのに実はそうではないようである。「安全だ」という意見と、「安全でない」という意見が真っ二つに分かれているようなのである。素人にはどちらが正しいのかわかりようがないからお手上げである。駅前で配られていた機関紙を比較するとそれがよくわかる。日本維新の会のは、「豊洲市場に早期移転を!」と訴えている。これに対し共産党は、「移転はきっぱり中止し築地での再整備を」としている。両党の主張は以下の通り、真っ向から対立している。

【両党の主張】

日本維新の会
共産党
ベンゼン等による汚染
環境基準値以下
汚染水経由、土壌経由ともに汚染が摂取される可能性はない
環境基準の79100倍のベンゼン検出。土壌と地下水は広範囲にわたり深刻に汚染
地下に空洞
安全性に問題なし
土壌汚染対策実施済み
盛り土なく、有毒物質が拡散するリスク。

それぞれ、「専門家の意見」を根拠としていて、どちらが正しいのかはわからない。おそらく、それぞれ「都合のいい専門家」の意見を取り上げているのだろうと思う。また、日本維新の会は、安全基準がそれぞれ「国の法律基準」、「都独自の基準」、「理想基準」と三段階あり(この順に厳しい)、豊洲だけ最も厳しい(行き過ぎた)「理想基準」で議論されていると主張している。そう言われて共産党の主張をよく読むと、「すべて除去・浄化できなかった」、「リスクが生じる可能性がある」との文言が目につき、あるいはその通りの「理想基準」なのかもしれない。

こういう意見対立を見れば、大概自分の意見に近い政党の意見の方が正しいように思えてしまう。個人的に「何でも反対する共産党」は嫌いだから、この豊洲移転問題も日本維新の会の主張の方が正しいように思えてしまう。もっとも自民党も小池さんも各党も「移転反対」と唱えたら、共産党は移転に賛成するのではないかと思ってみたりする。ただ、みんながみんな同じ意見に走るのは、間違った時は危険でもあるし、一定の反対分子はかえって社会の健全性になるのではないかと思うので、まぁいいとは思う。豊洲の問題も、従って今の所中立的な立場でいたいと思う。

それよりも日本維新の会の主張を見ると、「今の議会は人数ばかり多く、議論があちこちに散乱。時間とお金がかかり過ぎる」となっている。ここにこそ問題があるように思う。議員定数の削減が是非とも望まれるところだが、共産党はこの点についてどういう意見なのだろう。この点、個人的には嫌いな政党の1つである民進党は、議員定数削減を主張している。議会で提案したが否決されてしまったとのことで、この点は残念である。ちなみに豊洲移転については、「安全・安心が優先」との原則だけ明示して立場を明確にしていない。ある意味、最も不偏的な意見だと思う。

さて、この問題はどうなるのだろう。都民としては関心を持って見守っていきたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 あなたの人生の意味 上 (ハヤカワ文庫NF) - デイヴィッド ブルックス, David Brooks, 夏目 大 幻庵 下 (文春文庫) - 百田 尚樹





2017年6月15日木曜日

将棋と囲碁

今、帰りの通勤電車の中での読書は百田尚樹の『幻庵』である。これは江戸時代の囲碁の世界の話で、読み進むうちに例によって囲碁の歴史に詳しくなっていく。と言っても、囲碁をやったのは小学生の頃の話。読んでも専門用語はさっぱりわからず、何となくのイメージでしかない。そもそも小学生の時に囲碁クラブに入ったものの、なじめないまま終わったのが実情である。何となく囲碁のルールを覚えている程度で、とりあえず小説の方はついていっている。

なぜ囲碁クラブに入ったかと言えば、それは「将棋の延長」である。その頃、既に将棋をやっていて、そこそこ面白くなってきていて、そこで囲碁にも手を出したというわけである。しかし、将棋程のめり込めずに終わった次第である。なぜのめり込めなかったのかは、あんまり覚えていないが、「相手がいなかった」のも一つの理由だと思う。1人強い女の子がいたが、さすがに放課後どちらかの家で打つというのも恥ずかしい年ごろ。その他の友達で囲碁をやる子があまりいなかったのである。

それに対し、父の手ほどきで始めた将棋であるが、父は当時わずかな暇を見て教えてくれたのだと思うが、私はすぐに腕を上げて父を追い越してしまった。当時、祖父と叔父が強くて勝てなかったが、友人関係では小学生時代は無敵であった。まだゲームなどない時代だったから、将棋を指す友人もそこそこいたのである。しかし、囲碁はあまりいなかった。父も囲碁はやらなかったので、囲碁クラブ以外に囲碁を打つ場がなかったのである。

そんなわけで、囲碁クラブが1年で終わると(当時クラブ活動は1年単位だった)、自然と囲碁を打つ機会がなくなってしまった。当時は(身の回りでは)、囲碁よりも将棋人口が多かったと言える。今はどうなのだろう。将棋の世界では、藤井聡太四段がデビュー以来の連勝記録を伸ばしていて話題になっているが、囲碁の話題はあまり聞かない。2016年のレジャー白書によると、将棋人口は530万人で囲碁人口250万人の約2倍であるというから、感覚の通り将棋人口の方が多いようである。

将棋も囲碁も人口は減ってきているようである。今の子供たちがこれからどんどん将棋をやるようになるとも思えないから、人口はますます減っていくように思う。私が将棋を始めたのは、父親がやろうと言って教えてくれたからであり、その腕を試す友達がいて、なかなか勝てない祖父と叔父がいたからである。それでも高校に入ると「友達と将棋を指す」という雰囲気でもなくなってしまい、現在に至っているわけである。我が息子とは何度か指したことはあるが、その程度であり、当然息子も興味を持っていない。

現代はもっと面白いゲームが巷に溢れていて、わざわざ将棋を指すという魅力もない気がする。もっとも、今は将棋も囲碁もネットでできるから、「相手がいない」ということはない。会話はともかく、少なくとも「やろうと思えばできる」環境にはある。『幻庵』では相手と読み合うシーンが何度もででくるが、囲碁も将棋も頭を使うことは間違いない。自分にとってどのくらいそれが役立ったかわからないが、子供の頭の体操にはいいような気がする。

もうこれから囲碁を覚えるという気力はないが、将棋ならまた指しても良いように思う。幸い我が家には実家から持ってきた駒と将棋盤があるし、息子相手にやってみるのもいいかもしれない。ゲーム感覚で頭の体操となるかもしれず、どのくらい興味を持つかわからないが、誘ってみてみようかと思う。

早速、今度の土日でも声をかけてみたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 一言力 (幻冬舎新書) - 川上徹也 幻庵 下 (文春文庫) - 百田 尚樹




2017年6月11日日曜日

働き方改革

最近、働き方改革ということがよく言われている。電通社員の自殺事件を受けて、特に「長時間労働」をなくしていこうと政府も本腰を入れて取り組み始めている。「プレミアム・フライデー」なるものが登場し、定時に退社しようという流れが起こっている。政府主導の動きではあるが、どうだろうか、定着するだろうかと考えると、なんとなく尻すぼみになりそうな気がする。

政府主導の動きだからうまくいくわけがないとバカにしていると、過去にはそれでクールビズが定着した経緯もあるからなんとも言えない。ただ、クールビズは純粋にメリットしかなかったが、長時間労働の削減にはデメリットもあるから同様には考えられない。そのデメリットとは、「時間外手当の減少」だ。これはお金の問題だから抵抗も大きいだろう。

早く帰るに越したことはないが、それで収入が減るなら別問題。自殺したくなるくらい働いているならともかく、普通に8時、9時まで働く程度なら、収入を減らしたくないと考えるのが普通だと思う。同じ仕事をするにも、全力で1時間で終わらせるのと、ゆとりを持って2時間かけて終わらせ、しかも後者の方が収入が多いとなったら、人は全力で1時間で仕事を終わらせるかという話である。

それに日本人の気質もある。1人仕事が終わったからといって、隣の同僚が忙しそうにしていたら、それでも「お先に!」と言って帰れるだろうか。数年前のこと、同僚が中国人の働き方について語ってくれたが、その時「中国人は自分の仕事が終わると、隣の人が忙しそうにしていても平気で帰る」とのことだった。日本人的には違和感を持つが、本来「仕事が終わったら余計な残業などしないで帰る」という考え方に立てば、そうするのが普通となる。

大前研一氏が日立に勤務していた頃、1人仕事をさっさと片付けて定時に帰っていて、変人扱いされたそうである(最も半端でない実力があったから周りも何も言えなかったらしい)。日本人はとかく集団行動を好むところがある。飲み会には参加しないと「付き合いが悪い」と思われてしまうし、そして肝心なことであるが、そういう部分が「評価」に響いてしまったりする。

自分はどうかと言うと、かつての銀行員時代は、「時間外」を随分と稼いでいた。それは「敢えて」である。もちろん、純粋に仕事が終わらないという時もあったが、そうでなくても「周りを見ながら」、「ペース配分をして」仕事をしていたものである。その方が角も立たないし、収入も増える。今の会社は、役員だから「時間外手当」などないし、みんな定時に帰るからそういう問題はないが、銀行にいたら「働き方改革」を鼻で笑いながら同じように残業していただろう。

長時間労働で問題なのは、それが本人にとって苦痛になっている場合である。そうではない、時間外労働をしてもその分収入が増えるならその方がいいと言う人は、当然改革には反対だろう。政府としては、プレミアム・フライデー的な発想になるのは仕方ないとしても、これはやはり個人で対処すべき問題であるように思う。もちろん、対処できない人がいるから問題になっているのであるのは承知の上で、そう思うのである。

自分の仕事であれば、ある程度コントロールできるだろうし、コントロールできれば死ぬほど追いつめられることもないだろう。また、それなりに実力もつけば、社内でも自由がきくようになるだろう。「働き方改革」というのなら、単に残業を減らすのではなく、そういう方向へ持っていけるよう、またそんなやり方があることを身につけられるように教育なりなんなりする事が必要だと思う。

自分もかつては大変だったこともあるが、それがまた経験にもなっているし、近年は仕事をコントロールして適度に時間外手当を稼いできたし、今は今で、休みの日も会社にかかってきた電話を転送で受ける対応を自ら進んで引き受けたりしていて働いている。大変と言えば大変であるが、好きでやっているので仕事は楽しいと思う。世の中の「働き方改革」とは無縁である。

今の課題は、いずれ社会に出る我が子供達に、そうした働き方をうまく伝えたいということである。いかにしたら楽しく働く事ができるか。それをうまく伝えられるように、考えていきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である - 中島聡  幻庵 上 (文春文庫) - 百田 尚樹





2017年6月7日水曜日

論語雑感 為政第二(その3)

子曰。道之以政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳。齊之以禮。有恥且格。
(いわ)く、(これ)(みちび)くに(まつりごと)(もっ)てし、(これ)(ととの)うるに(けい)(もっ)てすれば、(たみ)(まぬが)れて(はじ)()し。(これ)(みちび)くに(とく)(もっ)てし、(これ)(ととの)うるに(れい)(もっ)てすれば、(はじ)()りて()(ただ)し。

【訳】先師がいわれた。法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳をもって民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、みずから進んで善を行なうようになるものである
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今回の言葉を読んで真っ先に頭に浮かんだのが「税金」である。我々サラリーマンは源泉徴収されているので、普段あまり意識することはない。しかし、商売をしている人や富裕層の方は、日々血眼になって(と言ったら言い過ぎだろうか)『節税』に明け暮れている。例えば事業をしている人と話をしていると、しばし「これは経費で落ちるから」という言葉を耳にするし、みなさんの節税意識はかなり高い。

もちろん、そのすべてがおかしいというものではない。ただ、明らかにいかがなものかと思う例が枚挙に暇がない。家族で食事に行っても領収書をもらう。それは会社の経費として計上するからである。家族との食事は、本来個人で負担すべきものだが、税務署にはわからない(そこまで調べない)。自家用車だって「社用車」になるし、とにかく経費を積み上げれば利益が減って税金も減るという仕組みである。

富裕層にとってみれば、「相続対策」が欠かせない。土地が余っていれば借金をしてアパートを建てる。すると土地の評価額が下がって、総資産も負債で圧縮され相続税も下がる。現金でマンションを買えば、これも評価額が下がって相続税は減る。最近タワーマンションへの課税が強化されたのは、タワーマンションの課税方法の裏を突いた節税(もちろん合法である)が横行しているからで、これを改正した税務当局と富裕層は常にイタチごっこだ。

もちろん、こんな節税とは無縁でちきんと納税している奇特な方もいるだろう(まだお目にかかったことはないけど・・・)。「納税は社会貢献」と言う人はいるが、払わざるを得ないからそう言っているだけの「すっぱい葡萄」だったりする。それは日本だけの事ではなく、世界中がそうであり、だからパナマ文書が出て慌てふためいているのであり、アマゾンやアップルなどのグローバル企業が世界規模で「節税」しているのである。そういう自分も、富裕層の仲間に入っていたら間違いなく節税しているだろうから、それをとやかく批判するつもりはない。

そういう人々が、「徳をもって導かれたら」、果たして節税をやめてより多くの税金を払うようになるだろうか。家族で行った食事の領収書はもらわず、自家用車のガソリン代を会社の経費にするようなことはなくなるだろうか。「ならない」と否定するのはいかがかと思うが、では「徳をもって導かれる」ことがどういうことなのか、具体的なイメージは難しい。

ただ、人は節税に血眼を上げ、己を利する事だけを考えているのかというと、そうでもない。災害時に寄付をしたりする行為は一般的だし、一財産築いたアメリカの大富豪も寄付行為や社会貢献活動をしていたりする。かく言う私も毎年ささやかながらではあるが、ユニセフに寄付をしている。その違いは何かと考えたら、それは「使い道」だろう。我々の税金がどうでもいいような三流大学の私学助成金に使われるのは我慢ならないが、発展途上国の小学校建設に充てられるなら、払っていもいいと思う。まず思い浮かぶのはそんなところだ。

財政健全化が必要だと言いながら、国会議員や公務員の数は減らず、特殊法人もなくならない。本当に必要なのか疑問に思う道路計画が身近で進められる。これでは「必要以上に」税金を払う気持ちなど起きてこない。「恥を知り、みずから進んで善を行なうようになる」境地に至るにはまだまだ遠い道のりがあるように思える。

これは税金の話ではあるが、孔子の意図したのはもっと広い政治の話。しかし、それにしたところで同じであるように思える。そこに必要なのは「公共心」。それを養うには強制ではなく、自ら動くように仕向けること。それには2,500年前の世界と同様、「徳」が必要なのだろう。
喜んで税金を払いたくなるような社会が実現する様、政治家の方には「徳をもって導いて」いただきたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 えんぴつの約束 - アダム・ブラウン(「ペンシルズ・オブ・プロミス」創設者兼CEO), 関 美和 幻庵 上 (文春文庫) - 百田 尚樹






2017年6月4日日曜日

誕生日を迎えて

6月は誕生月である。もう誕生日だからといって昔感じていたような「特別感」はないものの、それでも人生の節目として、ちょっと立ち止まって、今自分のいる場所を眺めてみるくらいのことはしたいと考えている。

総勢10名の中小企業に転職して2年半。大銀行にいた時のように組織に絶対の安定感はないものの、社長と一緒に会社を動かしているという充実感はあり、中小企業であってもそこそこの年収とやりがいとで仕事には満足している。会社をもっと大きくしたいと考えているので、エキサイティングに頑張りたいと思う。自分だけの満足だけではなく、共に働くみんなにも自分が来て会社が良くなったと思ってもらえたら幸いである。

その会社までの通勤時間は1時間20分。大半が電車の中である。しかしこの時間は、私にとって「読書タイム」であり、苦にならない。もっとも朝66分の電車に乗るからであり、30分も遅い時間になるとラッシュでえらいことになる。この時間帯を外すことは難しい。そしてその読書は、会社の経営にかなり役立っていると感じている。どの本が、というよりも「長年の蓄積」であると思う。「門前の小僧」ではないが、気がついたら力がついていたという感じである。多くの人が読書の効能を説いているが、それは真実である。

昨年、宅地建物取引士の資格を取得し、今年はマンション管理士の資格取得を目指している。もともと資格については懐疑的ゆえに、「宅建の資格など取っても」と思っていたが、社命とあっては無視もできずに取ったものである。すぐに役に立つとは思えないが、マンション管理士はやはり業務上のイメージが違うと思うので、これは何としても取らないといけない。宅建の知識も役立っているので、そう考えると宅建の資格を取ったのも無駄ではなかったと思う。実利を重んじる私としては、「資格などなくても」と思うものの、持っている人の発言力を考えると、やっぱり取らざるを得ないところである。

その勉強はと言えば、私は昔から父親譲りの「コツコツ型」である。今は「週10時間」というノルマを決め、それは例えば平日は1時間、休日は2日で5時間といった内訳であるが、これをきっちりこなしている。これをこなさないと好きな映画も観られないと自主ルールを定めている。「詰め込み型」よりも性に合っていて、このやり方が心地良い。もっとも記憶力の減退だけは如何ともしがたいものがある。

たぶん、間違いなく人生の折り返し地点は過ぎていると思う。いつ過ぎたかは、「その時」になってみないとわからないが、53歳ともなればもう過ぎているだろう。残りの人生で今のうちにしかできないことと考えると、体力的なことだろう。好きなラグビーは大学のシニアチームで、コンタクトプレーのない練習だけで満足していたつもりが、もう少しやりたくなってきてしまった。これこそ今がラストチャンスだと思うが、怪我はやっぱり怖いところである。鍛えていた頃ならともかく、今は運動すらたまにの状態である。それならなぜというところであるが、そこはラグビーの魅力ゆえとしか言いようがない。

ただし、何となく今の年齢ならではのやり方がありそうな気もする。若い頃は、力と力の対決を良しとしていて、たとえばタックルは相手の勢いを上回り仰向けに倒すものだと思っていたが、相手の力を受け流しボールを殺すタックルができればそれもまた良しだと思うのである。3月にやった試合では、2つほどそんなタックルができたのである。そうなれば怪我のリスクも減るだろうし、運動する張り合いも出てくるというもの。時間もあるし、ぜひやってみようと思う。

最近読んだホリエモンの本で、ホリエモンは「言いたいことを言う」ということを語っていた。その通りだと思うが、難しいのは相手も人間だし、場合によっては対立が生じる。でも黙って従うのもストレスである。ホリエモンは気にすることなく言っちゃっているらしい。でもそれでいいのかもしれないと思う。高校の同窓会の幹事をやめたのも、社会人の勉強会をやめたのもみんなそれ。自分の欠点だと思っていたが、ホリエモンによればそれでいいらしい。ちょっと勇気が出てくる。

とは言え、人間関係はこの世で社会生活を営む上では一番大事だと思う。いろいろな意見があって、それはそれでいいと思う。問題は自分がどう感じるか。今はまだ何が正解かわからない。ただストレスになることはやりたくないし、それが巷で言われる「自分らしく生きる」ということなのではないかとも思う。試行錯誤しながらやっていきたい。

これから1年間、どんな人生になるのか。周りの変化もあるだろうし、自分でもよくわからない。ただ、11日を大切に、好きなように生きていきたいと思う。家族との関わり、友人知人との関わり、仕事にラグビーに映画に読書。不平不満を減らし、わずかな喜びを大切にし、残りの人生を悔いなく楽しみたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 99%の会社はいらない (ベスト新書) - 堀江貴文 えんぴつの約束 - アダム・ブラウン(「ペンシルズ・オブ・プロミス」創設者兼CEO), 関 美和 幻庵 上 (文春文庫) - 百田 尚樹