2016年6月12日日曜日

仕事は楽しく

仕事には面白い仕事のやり方と面白くない仕事のやり方がある
大前 健一
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今は、日々「仕事が楽しい」と思って通勤している。以前は、「金曜日の夜」が一番好きだったが、今はそれに加え「日曜日の夜」も好きなひと時である。明日からの仕事を控え、今週は「あれもしようこれもしよう」と考え、至福のひと時と言ってもいいかと思う。

そんな私も、初めからそうだったわけではない。バブル真っ盛りの1988年春に、今はもう名前が変わってしまった都市銀行に入行し、八王子にある支店で銀行員生活をスタートさせた頃は、最初から面食らうことばかりであった。新入行員は朝早く行って仕事の準備をし、やることもないのに毎日サービス残業。と言っても、セキュリティの関係で8時には支店を閉めていたからまだマシだったと思うが、職場にいる時間は長くて耐え難いものであった。

仕事帰りに上司や先輩に連れられて飲みにいき、休みの日にも「親睦」という名の支店行事が花咲りであった。仕事中も何かと嫌味っぽいモノ言いをされたりして、毎日机の下でこぶしを握りしめる日々であった。理不尽な仕事のノルマも嫌だったし、営業は「気合と根性」という時代。日曜日の夜なんて、まるで死刑前夜の気分であった。

そういう時代であったと言えばそうも言えたと思うが、やはり一段と輪をかけていたのは、「仕事をやらされていた」という部分が大きい。まぁ新入行員は、何をやるにしても指示してもらい、教えてもらわないと何もできない。当然、指示されても期待レベルとは程遠い仕上がりであっただろうし、指導も丁寧とは程遠く、直属の上司は「仕事は盗むもの」と公言していたほどであるから尚更であった。

そんな中で、初めて任せてもらえた仕事は、融資課新入行員の登竜門でもあるカードローンの担当と、面倒で誰もやりたがらない住宅金融公庫の取り扱い業務だった。住宅金融公庫業務など手続きはほとんど決まっているが、それでも工夫の余地はあって、独自に進捗管理表を作成し、どの案件がどの段階か誰でも一目でわかる工夫をするなどをしていたが、その部分は楽しかったものである。

その後、あちこち転勤し、担当先を持って「自分の仕事」が増え、楽しみも増した。しかし、やっぱりどこに行っても苦しんだのは「人間関係」だ。当時から合理的に考え、納得すれば動けるが、納得できないと動けないという性格が邪魔をして、日々不満の毎日だった。理不尽なノルマも嫌だったが、上司や取引先課に振り回されて泥水をかぶることも多かった。

国立支店の時のこと、親密先の不動産業者から住宅ローンが持ち込まれ、私が対応した。内容的にとても審査が通らないと、早目に先方に減額になるだろうと見込みの回答を伝えた。ところが納得いかない先方は、私の上司に「なんとかならないか」と頼みに来た。上司は安請け合いすると、私の反対も聞かず、強引に本部の審査に回した。ところが案の定、減額の裁定。すると「今度は審査を通せなかった」と私を叱り、挙句にお客様のところへお詫びに行かせた。最初の段階で減額のまま押し切ればお客さんも時間を無駄にしなくて済んだのである。

今の私があの時の上司の立場であれば、担当の意見をよく聞き、一応審査を通す努力をする一方、減額の可能性も踏まえて事前に手を打っておくだろう。まぁ上司も人間であり、それぞれ能力もある。今の私のレベルと比較するのも酷であろう。今の私も諸々の経験を経て今の自分にたどり着いたわけだからである。

考えてみれば、サービス残業しかり、仕事で徹夜したり、オーバーワークになったりというのもある程度は成長する上で必要な経験とも言える。よく「ブラック企業」などと言われるが、スポーツで楽な練習ばかりしていては強くなれないのと同じで、ハードワークもある一定の時期は必要である。理不尽な人間関係も今となってはいい経験だったと言える。

しかし、今はもうそんな「いい経験」は不要だし、自分の会社でもしたくはない。当然一緒に働くみんなにもさせたくない。願わくば、社員全員が「日曜日の夜は楽しい」と思えるようになってもらいたいと思う。まぁ、そこまでいかなくても、少なくとも「日曜日の夜は憂鬱」とは思わないようにしてあげたいと思う。

これから残り少なくなっていく「仕事人生」。向かい風がないと飛行機は飛び立てないのと同様、少々の困難はあってもいいだろう。そんな向かい風をも楽しみつつ、残りの「仕事人生」をエンジョイしたいと思うのである・・・



【今週の読書】
  
  

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