2016年6月1日水曜日

誕生日

今日は52回目の誕生日だ。と言っても特別何か変わったことがあるというわけではない。いつものように起きて、いつものようにトーストを食べ、いつものように本を読みながら出勤する。たぶん、53回目の誕生日も54回目もおんなじように過ごしているだろう(55回目は土曜日だからたぶんちがう風景だろう)。平凡だがそんな平和な日常にありがたさと幸せを感じる。

年を経ても人間そんなに中身は変わらない。基本的な信条・信念は20代の頃とそんなに変わっていないと思う。ただ、これまでたくさんの本を読んできたし、社会の中でもまれてきたし、そうした中でずいぶんと考え方は変わっているように思う。人によってはそれを「成長」と呼んだり、「円熟」と評したりするのだろうが、自分としてはどれも違う気がする。

最近、長年携わってきた社会人教育のボランティア活動を辞めた。トップとの意見の相違であるが、「休め」と言われたのに対し、「辞める」と言ったのである(なので表面上は「休み」なのである)。トップがスタートさせたものを私が形作ってきたという自負があるが、「求められれば力を尽くすが、いらないとされれば執着しない」というのが信条なので、さっと身を引いたのである。

途中何度も関係修正のチャンスはあったし、「大人な対応」をするならそうしたであろう。しかしあえてそうしなかったのは、他人から見れば「意地を張っている」ことになるのだろうが、修正などせずにこのまま身を引く方が心地よかったのである。よく「好きなことをすべき」といろいろな人が語っている。その「好きなことをする」精神であれば、下手に関係改善を図るより、袂を分かつ方が圧倒的に心地よかったのである。

自分が抜けて大丈夫なのかと考えると、たぶんうまくはいかないだろう。そういう自負がある。ただ、それは「自分がやるよりも」という但し書き付きで、例えるならテストで100点だったのが80点になるというイメージだ。合格ラインは70点なので、自分がいなくとも結局合格点はとれるのである。ただ確実に言えるのは、それも「自分がいなくとも困らない体制作り」を心掛けてきた結果でもあるから、複雑な気持ちながら自慢したいと思うところでもある。

友人は大事にしたいと思うし、長く付き合いたいと思うが、しかし新しい友人を増やしたいとは思わない。休みの日も1人で過ごすのが心地よい。親と過ごす時間は限られているので、そういう時間を大切にしたいし、子供たちと過ごす時間も大切にしたい。仕事も長く続けて、短くとも70歳までは働き続けたい。それが可能かどうかは自分の努力次第であり、会社をうまく成長させていければ十分可能である。そういう立場にいることを心地よく思うとともに、やりがいも感じる。大企業にいて「先々安心」というよりは、はるかに面白いと思う。

いろいろと自分の思う通りに生きたいとは思うが、他人との関係にも心を配りたい。自分の意見を通すことも大事だが、相手の意見にもしっかり耳を傾けたい。たとえ相手の意見が論理破綻していても、咎めずに受け入れる寛容性を持ちたい。なかなか難しいが、ストレスを溜めずに行くにはそうした自助努力も必要であろう。

1年後にこの文章を読み返してどう思うだろうか。
精神的な成長などどうでもいいが、まぁ自分自身に納得できる結果を残したいと思うのである・・・



【本日の読書】
 
   

0 件のコメント:

コメントを投稿